1 冷戦の解消と国際関係の変化

1 米ソ軍縮の進展とヨーロッパの安定(その2)

 1974年2月に行われた総選挙では、労働党が小差で勝利をおさめ、翌3月に第2次ウィルソン労働党内閣(1974.3〜76.4)が成立した。

 ウィルソン内閣は、北アイルランド全域に非常事態宣言を発して(1974.5)紛争の沈静化に努めた。またEC残留問題では1975年に史上初の国民投票を実施して残留を決定し、翌年60歳の誕生を機に引退した。

 1976年4月、ウィルソンに替わってキャラハン(1912〜)が労働党党首となり、キャラハン労働党内閣(1976.4〜79.5)が成立した。

 キャラハンは、ポンド危機(1976.10)をIMFからの融資・公共投資や賃上げの抑制などによって何とか切り抜けたが、労働争議が多発する中で行われた1979年5月の総選挙に敗北して退陣した。

 1979年5月、総選挙で圧勝した保守党の党首サッチャー(1925〜)がイギリス史上初の女性首相となり、サッチャー内閣(1979.5〜90.11)が成立した。    

 フランスでは、1969年にポンピドゥー(1911〜74、任1969〜74)が大統領に就任した。ポンピドゥーは、ド=ゴール大統領のもとで首相を務め(任1962〜68)、五月危機(1968)の沈静化に尽力し、翌年の大統領選挙でド=ゴールの後継者として当選した。

 ポンピドゥーは、フランの切り下げ(1969)やイギリスのEC加盟承認などを行ったが在任中に急死した(1974.4)。

 1974年5月の大統領選挙では、社会党のミッテランが第1位となったが、決選投票ではジスカール=デスタン(1926〜、任1974〜81)が僅差で勝利をおさめて大統領に就任した。

 しかし、ジスカール=デスタンの任期中は第1次石油危機(オイル=ショック、1973)をきっかけに世界経済が深刻な不況に陥った時期にあたり、フランス経済も経済不況が深刻化して失業者が増大し、またインフレが激化したので、保守派への批判が高まった。

 そのため、1981年5月の大統領選挙では、ミッテラン(1916〜96、任1981〜95)が勝利をおさめ、社会党出身者として初の大統領となった。

 デタントが進展する中で、1970年代半ば頃から、西ヨーロッパの共産党、特にイタリア・フランス・スペインの共産党はユーロコミュニズムと呼ばれる社会主義路線をとるようになった。

 プロレタリア独裁と民主集中制に反対し、複数政党制や議会主義を主張するユーロコミュニズムは、以後西ヨーロッパ・南ヨーロッパに急速に広まった。

 イタリアでは、キリスト教民主党(1943年にイタリア人民党を再建して結成されたカトリック政党)が、1945年以来1983年まで、社会党・民主社会党・共和党と連立して政権を担当した。しかし、その間のイタリアの政情は不安定で、短命な内閣の交替がくり返された。

 イタリア共産党は、戦後勢力を拡大し、西欧で最大の共産党となったが、連立政権からは排除された。イタリア共産党は、ユーロコミュニズムを提唱し、その中心となった。

 ポルトガルでは、長期にわたって独裁政治を続けてきたサラザール(1889〜1970、首相・任1932〜68)が、1968年に病気で引退した。

 ヨーロッパ最後の植民地帝国といわれたポルトガルは、1961年以来アンゴラなどアフリカ植民地での民族解放闘争の激化に直面し、国内の独裁体制は危機にあった。

 1974年4月、政府の植民地政策に反発した軍部がスピノラ将軍の指導下でクーデターを起こし、独裁政権を打倒した。左翼諸勢力もこのクーデターを支持した。

 スピノラは大統領に就任し、ギニア=ビサウ(1973)・モザンビーク(1975)・アンゴラ(1975)の独立を承認し、国内でも民主化を進めた(ポルトガルの民主化、ポルトガル革命)。

 その後、1976年4月には民政移管が実現し、総選挙後の7月には社会党単独内閣が成立した。

 スペインでも、1975年11月に、スペイン内戦(1936〜39)以来独裁権を握り、終身総統(国家主席兼首相、1947〜)であったフランコ(1892〜1975)が亡くなった。

 フランコは、第二次世界大戦では中立を保ったが、1953年にアメリカと軍事協定を結んで米軍基地を設け、1955年には国連加盟を果たした。

 フランコの死後、後継者に指名されていたブルボン家のファン=カルロス1世(1938〜、位1975〜)が即位した。

 ファン=カルロス1世は民主化を進め、1977年には41年ぶりに総選挙が行われ、1978年に新憲法が承認されて民主的君主制に移行した。そして、1982年10月の総選挙では社会労働党が過半数を獲得し、43年ぶりにゴンザレスを首班とする社会主義政権が誕生した。

 ギリシアでは、1946年9月に国民投票で王政が復活した。その後、1967年4月には軍部のクーデターによって軍事政権が成立した。

 1973年6月、王政が廃止され、共和政宣言が行われた。翌1974年7月、軍事内閣が総辞職して民政に復帰し、同年12月に行われた国民投票によって共和政が確定した。そして、1981年10月の総選挙では社会党が圧勝し、ギリシア初の社会主義政権が成立した。




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