3 東アジアの激動

5 日本の変革

 1853年7月、アメリカ東インド艦隊司令官ペリー(1794〜1858)が4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫った。

 江戸幕府は、開国か攘夷かをめぐる激しい対立の中で、翌1854年に日米和親条約を結び、下田・箱館2港の開港や最恵国待遇の供与などを認めた。 さらに1858年の日米修好通商条約では箱館のほかに神奈川・兵庫・新潟・長崎の開港、領事裁判権の承認、自由貿易の原則の確立、関税自主権の放棄などを認めた不平等条約に調印した。 またオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の修好通商条約を結んで開国を断行した。

 これに対して尊皇攘夷運動や討幕運動がおこるなかで大政奉還が行われ、1868年の明治維新となり、天皇中心の明治新政府が樹立された。

 明治政府は政治・経済・軍事・教育などあらゆる分野の改革を実施して富国強兵をはかり、西欧化による近代化を進めた。

 対外的には欧米列強に対しては和親策をとったが、近隣のアジア諸国に対しては強硬な態度をとった。

 1874年には、琉球の漁民が台湾に漂着し、台湾の原住民に殺されたことを口実に台湾に出兵し、1879年には沖縄県を設置して琉球を併合した。

 翌1875年には江華島事件を機に朝鮮に迫って日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させた。

 また北方ではロシアとの間に1875年に樺太・千島交換条約を結び、全樺太をロシア領・千島全島を日本領とした。

 この間、国内では自由民権運動が起こるとこれを抑える一方で、1881年の国会開設の詔によって1890年までに国会を開設することを約束し、 1889年にドイツ帝国憲法を手本にした大日本帝国憲法を発布し、翌1890年に国会を開設した。




目次へ戻る
次へ