3 宗教改革

4 反宗教改革

 宗教改革の進展につれて、カトリック教会側もこれに対抗してみずから教会改革を行い、勢力の立て直しに努めた。これを反宗教改革と呼んでいる。

 1545年から18年間にわたって南チロルのトリエント(トレント)で開かれた公会議は、当初は新旧両教会の調停を目的としたが、プロテスタント側が出席を拒否したので、旧教側だけの会議となり、近代カトリックの教義の確定の場となった。

 会議では、教皇の至上権を再確認し、また教義についても従来の解釈が正しいことを再確認した。その一方でカトリック教会内部の粛正、宗教裁判所による異端審問の強化、禁書目録の制定による思想統制の強化なども行われた。

 反宗教改革の推進に大いに貢献したのが、スペイン人のイグナティウス=ロヨラらによって1534年に設立されたイエズス会(ジェズイット教団)である。

 イグナティウス=ロヨラ(1491頃〜1556)は、スペインの貴族出身で、軍隊に入りフランスとの戦いで負傷し、病院で回心し(1521)、イェルサレムへの巡礼後、パリなどで勉学に励み、パリでフランシスコ=ザビエル(シャヴィエル)ら6人の同志とともに、清貧・貞潔・教皇への絶対服従を根本精神とするイエズス会(ジェズイット教団)を創設し(1534)、のちに教皇の許可を受けて(1540)、初代総長となった。

 フランシスコ=ザビエル(1506頃〜52)は、スペインのナヴァラのシャヴィエル城主の子に生まれ、王国の没落でパリに出て学び、同郷のイグナティウス=ロヨラに出会い、彼に共感してイエズス会の設立に加わった。反宗教改革に尽くし、ポルトガル王の要請でインド布教のためにゴアに至り(1542)、インド・東南アジアの布教に努めた。マラッカで日本人彌次郎に出会い(1547)、彼の案内で鹿児島に来て(1549)、日本に初めてキリスト教を伝え、その後平戸・山口・大分で布教した。さらに中国への布教のために広州付近の上川島に至ったが、熱病にかかりその地で没した。

イエズス会は、厳格な軍隊的な規律と組織によって、ヨーロッパ内外でのカトリックの失地回復に努め、特にまだキリスト教を知らないラテン=アメリカや東アジア・南アジアなどにも宣教師を派遣し、海外伝道に大いに活躍した。

 反宗教改革によって、新旧両教徒の対立が激化し、以後ヨーロッパ各地で宗教戦争がおこることになる。また中世以来の「魔女狩り」が宗教改革以後各地で荒れ狂い、16〜17世紀に最高潮に達した。「魔女」とは悪魔に魂を売り払った者で男も含まれ、異端よりも悪質とされた。宗教裁判所への密告が盛んに行われ、激しい拷問・自白の強要が行われ、「魔女」と判定されると火あぶりの刑に処せられた。 




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