1 絶対主義国家の盛衰

1 絶対主義の成立

 中世以来、各国で国王による中央集権化が進み、16〜18世紀頃には国王の絶対的な権力が確立され、絶対主義(絶対王政)と呼ばれる政治体制が成立した。

 絶対主義は、中世封建社会から近代市民社会への過渡期に現れた政治形態で、国王は没落していく封建貴族と勃興してくる市民階級のバランスの上に立って、絶対的な権力を握り国民を支配した。

 国王の絶対的な権力を支えた二大支柱は官僚と常備軍(戦争のたびに召集された封建的諸侯・騎士の軍に代わる常置の軍隊)である。

 没落しつつあった封建貴族は王権に頼ってその地位を維持しようとした。国王は彼らの身分上の特権を保障して、彼らを官僚や常備軍に編入し、王権の強化に利用した。

 また市民のうち、特に大商人(商業資本家)は国内市場の統一を求めて、国王による統一を支持してきたが、新航路の開拓によって商業・貿易の規模が拡大し、また外国商人との競争が激しくなると、国王の援助を必要とするようになり、王権と結びついていった。

 国王も、官僚と常備軍を維持するために莫大な貨幣を必要としたので、一部の大商人(特権商人)に独占権を与え、それと引き替えに金銭を手に入れた。

 新航路の発見にともなう商業革命は都市や農村における生産のしくみにも大きな影響を及ぼし、問屋制(問屋制度、問屋制家内工業)やマニュファクチュア(工場制手工業)のような生産様式が盛んとなった。これらは資本家が労働者を雇って、市場向けの商品の生産を行うという点で資本主義の始まりといえる。

 問屋制は、大商人(商業資本家)が、主に手工業者に道具や原料を前貸しして、自宅で加工させ、加工賃を払って製品を独占的に買い上げて販売する生産様式である。問屋制はイギリスの毛織物生産で盛んに行われ、大商人は生産者を直接支配するようになった。

 マニュファクチュア(工場制手工業)は、資本家が労働者(手工業者など)を雇い、作業場にまとめて、道具を使用して製品をつくる生産様式である。マニュファクチュアは技術的にはまだ手工業の段階に留まっているが「分業による協業」が行われたことが大きな特色であり、道具が機械に代わると工場制機械工業となる。マニュファクチュアは資本主義生産様式の初期段階で、16世紀の後半からイギリスの毛織物業で盛んとなった。

 絶対主義国家は官僚と常備軍を維持するために多くの貨幣を必要としたので、また当時は国家の富は蓄積された貨幣や金・銀の量であると考えられていたので、各国は貿易によって貨幣や金・銀などの富を手に入れようとする重商主義(政策)を採用した。

 重商主義は初期の重金主義とその後の貿易差額主義の2段階に分けられる。

 初期には直接的な手段によって金・銀の獲得をめざす重金主義が行われ、各国は国内・国外の金・銀鉱山の開発・採掘に努めるとともに、金・銀の国外持ち出しを禁止した。新大陸の金・銀を独占した16世紀のスペインが典型である。

 しかし、後には、直接貨幣や金・銀を獲得しなくても、貿易を盛んにして輸出を伸ばし、輸入を抑えれば国家財政は豊かになるはずという考え方から貿易差額主義に代わっていった。そして、輸出を伸ばすには自国の産業の発達が不可欠と考え、国内産業の保護・育成がはかられた。

 貿易差額主義は、17世紀以降オランダ・フランス・イギリスで典型的に行われた。各国は自国製品のための海外市場としての植民地獲得に乗り出し、植民地獲得争いが激化していくこととなる。




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