3 ヨーロッパ列強の植民活動

2 イギリスとフランスの抗争

 オランダは、17世紀を通して海上権を握り、香料貿易を独占して繁栄したが、3回にわたる英蘭戦争(1652〜74)に敗れて植民地争いから脱落すると、イギリス・フランス両国の抗争が激しくなった。このイギリスとフランスの植民地・海上権をめぐる抗争は、中世の百年戦争になぞらえて第2次英仏百年戦争(1689〜1815)と呼ばれている。

 当時の植民地抗争はヨーロッパにおける国際戦争が植民地に波及するという形をとったが、イギリスとフランスもヨーロッパで国際戦争がおこると北アメリカとインドで激しい植民地争奪戦を展開した。

 まずヨーロッパでファルツ継承戦争(1689〜97)が始まると、北アメリカでウィリアム王戦争(1689〜97)がおこったが、双方ともに決定的な勝利は得られず引き分けの形で終わった。

 ついでスペイン継承戦争(1701〜13)が始まると、北アメリカでアン女王戦争(1702〜13)がおこった。この戦いにはフランス側にスペインも参戦したが、イギリス優勢のうちに終わった。1713年に結ばれたユトレヒト条約で、イギリスはフランスからハドソン湾地方・アカディア・ニューファンドランドを、そしてスペインからはジブラルタルとミノルカ島を獲得した。

 その後オーストリア継承戦争(1740〜48)・七年戦争(1756〜63)がおこると、イギリスはフランスの関心をヨーロッパ大陸に向けさせ、自らは北アメリカ・インドに総力を結集してフランスを破った。

 オーストリア継承戦争と並行して、北アメリカでジョージ王戦争(1744〜48)がおこったが、勝敗はつかず、相互に占領地を返還して終わった。

 この間、インドではフランスのインド総督デュプレクス(1697〜1763)が活躍し、1746年以降、中・南部インドでイギリス軍を圧倒し、イギリス勢力をインドから一掃する勢いを示したが、デュプレクスは1754に本国に召還された。

 七年戦争が始まると、フランスが宿敵ハプスブルク家と結んでヨーロッパでの戦いに全力を挙げたのに対し、イギリスは植民地争いに全力を注いだ。

 インドでは、一時帰国していたクライブ(1725〜74)を急遽インドに呼び返した。クライブは、イギリス東インド会社の書記としてインドに渡り、傭兵隊の将校として活躍したが、当時は本国に帰国していた。彼はインドに戻るや、傭兵隊を率いてカルカッタの北方のプラッシーの戦い(1757)でフランス・ベンガル藩王連合軍に圧勝し、インドにおけるイギリスの覇権を確立した。

 一方、北アメリカでは、この頃イギリス植民地がアパラチア山脈を越えてオハイオ川流域に進出すると、この地域のインディアン及びフランスと衝突し、フレンチ=インディアン戦争(1755〜63)がおこった。イギリスはインディアンと結んだフランスと戦い、1759年にフランスの拠点ケベックを占領して優位に立ち、この戦いに圧勝した。

 1763年にパリ条約が結ばれ、イギリスはフランスからカナダ及びミシシッピ以東のルイジアナ・西インド諸島の一部・セネガルを獲得し、スペインからフロリダを獲得した。

 フランスはフロリダの代償としてミシシッピ以西のルイジアナをスペインに譲渡したので、北アメリカにおける植民地をすべて失った。

 こうしてイギリスは北アメリカ及びインドでのフランスとの長期にわたる植民地抗争に勝利し、後の大英植民地帝国の地位を確立した。




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