1 ルネサンス

3 美術の黄金時代

 絵画の分野でイタリア=ルネサンスの道を開いたのはジョット(1266頃〜1337)である。ジョットは、ビザンツ様式を克服して、巧みな心理描写や遠近法によってルネサンス絵画の祖となった。代表作に「小鳥に説教するフランチェスコ」がある。

 マサッチョ(1401〜28頃)は、当時流行していた保守的なゴシック様式から脱却し、ジョットの表現力豊かな画風に戻って遠近法を確立し、初期ルネサンス絵画を確立した。代表作に「楽園追放」がある。

 同じ頃、ギベルティ(1378〜1455)やドナテルロ(1386頃〜1466)が彫刻に絵画的な表現を取り入れて写実主義を発展させ、彫刻における初期ルネサンス様式を確立した。

 建築ではブルネレスキ(1377〜1446)によってルネサンス様式が創始された。ブルネレスキが設計・建築したフィレンツェのサンタ=マリア大聖堂は初期ルネサンス様式の傑作である。。

 ルネサンス様式は、大円蓋(ドーム)と古代ギリシア=ローマ風の列柱や装飾を特徴とし、安定感と豪快さに富む建築様式である。

 ルネサンス最大の建築家であるブラマンテ(1444〜1514)は、はじめミラノで活躍し、やがてローマに移り(1499)、教皇庁に仕え、教皇ユリウス2世(位1503〜13)の命を受けてサン=ピエトロ大聖堂の改築を設計・監督した。

 サン=ピエトロ大聖堂は、使徒ペテロの墓所とされていた場所にコンスタンティヌス大帝の命によって建立された教会で、14世紀以来カトリック教会の総本山となった。

 教皇ユリウス2世はブラマンテを起用して大々的な改築に着手した(1506)。ブラマンテの死後、教皇レオ10世(位1513〜21)がラファエロに、ついで教皇パウルス3世(位1534〜49)はミケランジェロに命じた。ミケランジェロは最初の規模を長さで4分の3に縮小して工事を進めたが宗教改革の影響などで中断された。その後再び縮小されて再開され、1626年に完成した。円屋根の高さが132mもある世界最大の大聖堂である。

 なおレオ10世が、このサン=ピエトロ大聖堂改築費用調達のために贖宥状(免罪符)を発行・販売したことがルターの宗教改革の発端となった。

 イタリア=ルネサンス絵画は、15世紀後半から16世紀前半にかけてボッティチェリ・レオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロらが活躍し黄金時代を迎えた。

 ボッティチェリ(1444頃〜1510)は、フィレンツェに生まれ、メディチ家の依頼で「春」(1478)や「ヴィーナスの誕生」(1488)など多くの作品を制作した。「春」と「ヴィーナスの誕生」は官能的な女体美を描いた作品で、発表当時人々に大変な衝撃を与えたといわれている。

 レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452〜1519)は、フィレンツェ近郊のヴィンチ村に生まれ、フィレンツェ・ミラノ・ローマで活躍した。

 彼は画家・彫刻家・建築家として活躍しただけでなく、物理学・解剖学・植物学などの諸科学、飛行の原理や軍事技術などの諸技術にも優れた天才でルネサンスの理想像であった「万能人」の典型であった。

 絵画でも、「最後の晩餐」(1495〜98年の作)や「モナ=リザ」(1503年頃の作)などの有名な作品を描いている。

 「最後の晩餐」は、キリストの受難前の弟子達との最後の夕食を題材とし、「汝らの一人、われを売らん」というイエスの言葉に動揺する12人の弟子達の姿がみごとに描かれている名作である。

 「モナ=リザ」は、ジョコンダ像とも呼ばれている婦人の肖像画で、謎の微笑といわれる神秘的な表情で有名である。

 ミケランジェロ(1475〜1564)は、彫刻家・画家・建築家でレオナルド=ダ=ヴィンチと並ぶルネサンスの巨匠である。メディチ家の保護を受け、またローマ教皇に仕えてフィレンツェ・ローマで創作活動を行った。

 彫刻では、「ピエタ」や「ダヴィデ像」・「モーゼ像」が有名である。「ダヴィデ像」は若き日のダヴィデ(古代ヘブライ王国の第2代の王)をモデルにした5.4mもある巨大な彫刻で、フィレンツェ共和国の自由と独立の象徴としてつくられた。

 壮年期のミケランジェロの2大作は、教皇ユリウス2世の墓廟(1513年から40年を費やした)とシスティナ礼拝堂(ヴァチカン宮殿内の主要礼拝堂でサン=ピエトロ大聖堂の側にある)の天井画である(1508〜12年の作)。

 システィナ礼拝堂の天井画は、旧約聖書の天地創造や楽園追放などの場面を描いた雄大で迫力に満ちた作品である。

 のちにシスティナ礼拝堂の祭壇の奥の壁に「最後の審判」を描いた(1536〜41)。「最後の審判」はイエスが裸体で描かれていたので非難をあびたが、力強さと気品に満ちたミケランジェロの最高傑作である。

 またラファエロの後を継いでサン=ピエトロ大聖堂の改築の責任者となり(1546)、ブラマンテの設計を縮小して大聖堂の大部分を建設した。

 ミケランジェロは生涯独身を通し、死の数日前まで制作を続け89歳の生涯をローマで終えた。     

 レオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロと並び称せられるルネサンス三大巨匠の一人であるラファエロ(1483〜1520)は画家・建築家として活躍した。

 幼いときから絵画を仕込まれ、のちにフィレンツェに出て(1504)、レオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロの影響を強く受け、一連の「聖母子像」を描いて名声を確立した。一連のマリア像は女性の優しさ・美しさを余すところなく描き出している。

 ローマに出てからは(1508〜)、教皇ユリウス2世・レオ10世に重く用いられ、ブラマンテの死後、サン=ピエトロ大聖堂の改築主任となったが(1514)、37歳の若さで亡くなった。

 イタリアでルネサンス絵画がおこった頃、ネーデルランドにもファン=アイク兄弟(兄1366頃〜1426、弟1380頃〜1441)が出て、油絵画法を始めてフランドル派を創始し、写実的な画風で宗教画や肖像画を残した。

 ブリューゲル(1528〜69)は、フランドル(現ベルギー)の農民出身の画家で、故郷の村の名を取って姓とした。彼は当時では例外的に名もない農民達とその生活を好んで描いたので「農民のブリューゲル」と呼ばれた。彼の絵画は20世紀初頭に再評価され、今日でも高く評価されている。代表作に「結婚祝い」「農民の踊り」などがある。

 ドイツでは、デューラーやホルバインらが活躍した。
 デューラー(1471〜1528)は、ニュルンベルクで金細工師の子に生まれ、父に金細工を学んだ後に絵画と木版画を学んだ。イタリア・ネーデルランドなど各地を遍歴して修業し、帰国後重く沈んだ宗教的な名画「四使徒」を制作した(1526)。また絵画の他に多くの優れた木版画や銅版画も残した。

 ホルバイン(1497〜1543)は、アウグスブルクに生まれ、スイスのバーゼルに住んだ。ここでエラスムスの「愚神礼讃」の挿し絵を描いたことが縁となり、トマス=モアに招かれてロンドンに滞在した。一度帰国し、その後再びイギリスに渡り以後永住した。そしてヘンリ8世の宮廷画家となり、「エラスムス像」「ヘンリ8世像」「トマス=モア像」などの優れた肖像画を残した。 




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