4 17〜18世紀のヨーロッパ文化

1 芸術と文学

 17〜18世紀のヨーロッパでは、絶対主義のもとで、宮廷を中心とする文化が栄えたが、市民階級の成長とともに市民文化も発展した。

 美術の分野では、17世紀のスペインやフランスを中心に、強大な王権を背景にした豪壮華麗なバロック式が発達した。

 バロック式建築を代表するのが、ルイ14世が完成したヴェルサイユ宮殿で、豪華な室内装飾と広大な庭園で有名である。

 絵画では、スペインのエル=グレコ(1541頃〜1614)・ベラスケス(1599〜1660)やフランドル派のルーベンス(1577〜1640)・ファン=ダイク(1599〜1641)らが現れた。

 エル=グレコは肖像画・宗教画を多く残したが、「受胎告知」(倉敷・大原美術館蔵)は彼の代表作の1つである。ベラスケスは、スペインのフェリペ4世の宮廷画家となり、光線の独特な表現で後の印象派の先駆者となった。

 フランドル派の巨匠ルーベンスは、歴史画・宗教画などあらゆる題材の絵画を描いたが、その画風は雄大・劇的・官能的でバロック絵画の代表的な画家である。ファン=ダイクは、チャールズ1世の宮廷画家となり、多くの肖像画・宗教画を繊細優美な画風で描いた。

 独立後のオランダには、オランダ画派を代表するレンブラント(1606〜69)が出て、最盛期のオランダ市民の生活を描いた。レンブラントは独創的な構図や光と影のコントラストを強調する独自の画風を築き、「光と影の画家」と呼ばれた。彼も多くの作品を残したが代表作には「夜警」などがある。また近代油絵画法の完成者としても有名である。

 18世紀になると、豪壮華麗なバロック式にかわって、繊細優美なロココ式(ロココはフランス語の貝殻細工から出た言葉)が盛んとなった。

 ロココ式を代表する建築は、フリードリヒ2世がベルリン郊外のポツダムに建てたサン=スーシー宮殿である。サン=スーシー宮殿にはヴォルテールをはじめ多くの学者や芸術家が集まり、18世紀東欧の文化の中心地となった。

 絵画ではワトー(1684〜1721)が有名である。またヴィヴァルディ(1678〜1741)・バッハ(1685〜1750)・ヘンデル(1685〜1759)らに代表されるバロック音楽が流行したのはこの頃である。

 文学では、ルイ14世時代のフランスで、古典主義文学が盛んとなった。古典主義は、ギリシア・ローマの文化(特に詩や演劇)を理想とし、その精神や様式を模倣しようとする文芸上の傾向で、フランスでは17世紀に、イギリスでは17世紀末〜18世紀前半に、そしてドイツでは遅れて18世紀中頃〜19世紀初期にかけて盛んとなった。

 フランスの古典主義は、宮廷劇を中心に発展し、悲劇作家のコルネイユ(1606〜84)・ラシーヌ(1639〜99)、喜劇作家のモリエール(1622〜73)らが活躍した。特にモリエールは『タルチュフ』・『人間嫌い』・『守銭奴』などの優れた風刺劇を残した。

 17世紀にピューリタン革命・名誉革命を成し遂げ、市民階級が成長していたイギリスでは、ピューリタン文学や市民小説が盛んとなった。

 熱心なピューリタンで、ピューリタン革命を熱烈に支持したミルトン(1608〜74)は、ピューリタン文学の最高傑作である『失楽園』(1667年刊)を著し、旧約聖書の楽園喪失を物語化し、人間を象徴するアダムとサタンの闘争を通して神の摂理を明らかにしようとした。

 バンヤン(1628〜88)は、ピューリタン革命に議会派の兵士として参加し、後に妻の影響で熱心なピューリタンとなり、迫害を受け投獄されて『天路歴程』を著し、典型的なピューリタンが天国に至る信仰上の苦闘を描いた。

 18世紀になるとイギリスの植民活動を背景に、デフォー(1660〜1731)の『ロビンソン=クルーソー』やスウィフト(1667〜1745)の『ガリヴァー旅行記』のような市民小説が生まれた。

 『ロビンソン=クルーソー』は、孤島に流れ着いた主人公が、28年間、信仰に支えられて一人で生きぬいて運命を切り開いていく姿を描いた作品で、当時の中産階級の精神に合致していたのでベストセラーとなった。

 スウィフトは、アイルランドのタブリンで生まれ、大学卒業後、秘書・聖職者となった。 政治・宗教・学界を厳しく風刺する作品を発表し、またアイルランド抑圧に抗議して政府を攻撃した。晩年は不遇であったが、その中で『ガリヴァー旅行記』(1726)を著した。 『ガリヴァー旅行記』は、船医ガリヴァーが小人の国・大人の国・馬の国などを旅行する形式をとって、当時のイギリスの現状を厳しく批判・風刺した作品で、イギリス風刺文学の最高傑作の一つである。

 『ガリヴァー旅行記』の第3編第11章には「著者、ラグナグを去り、日本に航す、ついでオランダ船によってアムステルダムに帰り、さらにアムステルダムを経て英国に帰る」とあり、日本にやって来てエド(江戸)で皇帝に拝謁し、ナンガサク(長崎)からオランダ船で帰国した様子が書かれている。




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