4 17〜18世紀のヨーロッパ文化

2 科学と哲学の発達

 17世紀には、自然界の研究が進み、科学の諸分野で知識の基礎と方法論が確立し、「科学革命」と呼ばれている。その基礎を築いたのがイギリスのニュートンである。

 ニュートン(1642〜1727)は、自作農の子に生まれ、ケンブリッジ大学に学び、後に同大学教授となり、数学・光学の講義・研究を行った。有名な万有引力の法則の発見(1661)、微分積分法の発見など古典力学と近代物理学の確立に大きな業績を残した。主著『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』(1687)は、万有引力の法則を初めとするニュートン力学と天文学の研究成果を集大成したものである。

 17世紀にはニュートンの他に、血液循環説を唱えたイギリスの生理学者ハーヴェー(1578〜1657)、ボイルの法則を発見したイギリスの物理・化学者ボイル(1626〜91)、土星の環を発見したオランダの物理・天文学者ホイヘンス(1629〜95)などが活躍した。

 さらに18世紀には、動植物の分類学を確立したスウェーデンのリンネ(1707〜78)、燃焼理論と質量不変の法則を確立して近代化学の創始者とされるフランスのラヴォワジェ(1743〜94)、宇宙進化論を説いたフランスの天文・数学者のラプラース(1749〜1827)、種痘法を発見して予防接種の創始者となったイギリスの医師ジェンナー(1749〜1823)などが科学の各分野で活躍し、優れた業績を残した。

 ヨーロッパ近代哲学の基礎は、当時盛んとなった自然科学の研究方法を哲学的に基礎づけようとしたイギリスのフランシス=ベーコンとフランスのデカルトによって確立され、フランシス=ベーコンを祖とするイギリス経験論とデカルトを祖とする大陸の合理論はヨーロッパ近代哲学の二大潮流となった。

 フランシス=ベーコン(1561〜1626)は、名門に生まれ、13歳でケンブリッジ大学のトリニティーカレッジで学んだが、当時のスコラ哲学的方法に強い不満を抱いた。その後パリに留学し、1584年には下院議員となり、検事総長を経て大法官となり(1618)最高位にまで登りつめたが、汚職のかどですべての官職と地位を追われ(1621)、その後はもっぱら研究と著述に励んだ。主著『新オルガヌム』(1620)において、実験と観察による帰納法を説いて、近代科学の研究方法としての経験論を確立した。

 フランシス=ベーコンは、「知は力なり」といい、人間による自然の支配を学問の目的とした。そして真の知識に至るには、正しい認識の妨げになるイドラ(偏見・先入観)を排除しなければならないと説き(イドラ説)、さらに実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱した。

 具体的・経験的事実が認識の基礎であるとする立場を経験論といい、イギリスで発達した。また帰納法は経験論の基礎となったので、フランシス=ベーコンはイギリス経験論の祖と言われる。イギリス経験論は、その後ロック(1632〜1704)・ヒューム(1711〜76)に継承されていった。

 一方、デカルト(1596〜1650)は、高等法院貴族の家に生まれ、大学で法学・医学を学んだ後に旅に出た。そして1618年にはオランダ軍に入り、旧教側について三十年戦争に従軍した。20年には軍を離れ、再び北欧・中欧・フランス・イタリアを旅行した後にオランダに移住し、研究生活の大部分をオランダで過ごした(1628〜49)。 49年にスウェーデン女王に招かれてストックホルムに赴き、半年後にその地で没した。主著『方法叙説』(1637)は、彼の合理主義哲学の方法論を説いたもので、「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉もこの中に出てくる。

 デカルトは、確実な真理を得るために、あらゆるものを疑って、疑い得ない真理を得ようとした(方法的懐疑)。そしてあらゆるものを疑わしいとして退けたが、そのように疑っている自分自身が存在することは疑う余地がないとし、「われ思う、ゆえにわれあり」という真理に到達した。そして「われ思う、ゆえにわれあり」という真理から出発して、彼の哲学大系を作り上げていった。

 その方法として、デカルトは普遍的な真理を前提として、論理的に必然的な結論を導き出す方法、すなわち演繹法をうち立てた。演繹法は、数学特に幾何の証明などに使われる思考方法と考えれば分かりやすい。

 認識の根拠を人間の理性に求め、論理的な演繹によって結論に到達しようとする哲学思想を合理論という。合理論は、フランス・ドイツなどヨーロッパ大陸で発達したので、一般に大陸の合理論と呼ばれる。デカルトは、大陸の合理論の祖、近代合理主義哲学の祖と呼ばれている。

 大陸の合理論は、汎神論を唱えたオランダの哲学者スピノザ(1632〜77)、単子(モナド)論を説いたドイツの哲学者ライプニッツ(1646〜1716)らによって継承され、発展した。

 フランスの数学・物理・哲学者パスカル(1623〜62)は、パスカルの原理で知られているが、哲学者としてはキリスト教の立場から、理性よりも心情を重視した。人間性について深い考察を行い、主著『パンセ(瞑想録)』の中に、有名な「人間は考える葦である」という言葉を残している。

 18世紀末に現れた近代ヨーロッパ最大の哲学者、ドイツのカント(1724〜1804)は、イギリスの経験論と大陸の合理論はいずれも独断的であるとして、経験論と合理論を総合する批判哲学を唱え、ドイツ観念論の祖となった。主著『純粋理性批判』(1781)・『実践理性批判』(1788)・『判断力批判』(1790)はカントの3批判として有名である(私の能力では理解することは出来ないが)。




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