3 トルコ世界とイラン世界

1 ティムール帝国

 14世紀中頃、中央アジアにティムール(1336〜1405)という英雄が現れた。
 ティムールは、サマルカンドの南のケシュで、西チャガタイ=ハン国のトルコ系の小貴族の家に生まれたが、チンギス=ハンの子孫であると自称した。ティムールとは「鉄」の意味である。

 当時の中央アジアは、モンゴルの支配体制が崩れる中で、チャガタイ=ハン国は東西に分裂し、各地に豪族が分立する状態にあった。

 ティムールは、青年時代には羊とか馬を略奪する盗賊のような生活を送っていたが、その間にも指導者としての才能を発揮し、次第に部下の数を増やし、各地を略奪して回った。

 25歳頃、サマルカンドを攻略した東チャガタイ王に帰属して、ケシュとその周辺の支配権を獲得したが、まもなくサマルカンドを追われ、以後約10年間苦難の時期を過ごした。この間、右腕と右脚に大傷を負って歩行が困難となり(1363頃)、「びっこのティムール」と呼ばれた。

 その後、西チャガタイ=ハン国の混乱に乗じて勢力を伸ばし、ついにトランスオクシアナ(アム川とシル川にはさまれた地方、アラブ人はマワランナフルと呼んだ)を制圧して自立し(1369)、翌年サマルカンドに都してティムール朝(ティムール帝国、1370〜1507)を樹立した。

 ティムール(位1370〜1405)は、東チャガタイ=ハン国を併合し、次いで西アジアに遠征してイル=ハン国滅亡後の領土を併合し(1393)、さらにキプチャク=ハン国(1395)や西北インド(トゥグルク朝)(1398)にも侵入した。

 その後、ティムールはマムルーク朝からシリアを奪い(1400)、さらに20万の大軍を率いて小アジアに進出し、アンカラ(アンゴラ)の戦い(1402)で勃興期のオスマン帝国軍を撃破し、バヤジット1世を捕虜にしてオスマン帝国に大打撃を与えた。

 こうして連年にわたる遠征によって、東はトルキスタン(中央アジア)、西は小アジア、北は南ロシア、南はインド北部にまたがる大帝国を建設した。

 ティムールはチンギス=ハン家の正統な出身者でではなかったので生涯スルタンを称しただけで、ハンの称号は用いなかった。しかし、彼はチンギス=ハンの子孫であると自称し、妃をチンギス=ハンの血を引くモンゴルの名家から迎え、モンゴル帝国の再興をはかり、元を滅ぼした明朝打倒のために中国遠征を決意した。

 ティムールは、周到な準備の後、1404年に20万の大軍を率いてサマルカンドを出発し、中国遠征の途についた。ティムール軍の将兵は、帰路の食糧とするために種子をまきながら進み、また各人が乳牛2頭と羊10頭を携え、途中の食糧の欠乏に備えたといわれている。大軍はシル川を渡り河畔のオトラルに達したが、ティムールはそこで病にかかり、同地で病没した。そのため遠征軍は引き返した。

 「チンギス=ハンは破壊し、ティムールは建設した」という言葉がある。ティムールは抵抗する都市に対しては破壊・虐殺を行っているが、抵抗しない都市に対しては破壊・虐殺を行わず、各地で建設事業を行った。特に首都サマルカンドの建設には力を注ぎ、王宮をはじめモスク・学校などを次々に造営した。

 サマルカンドを中心とするソグド地方は、古くから商業で有名であったが、ティムールは商業を盛んにするためにバザールやキャラバンの宿舎などを整備したので、サマルカンドは再び東西交通・貿易の中心地となった。

 またティムールは、学者や芸術家を優遇・保護したので、サマルカンドは当時の世界の学問・文芸の一大中心地として繁栄し、またイラン=イスラム文明が中央アジアに伝えられてトルコ=イスラム文明が栄え、多くの詩人や散文家を輩出した。

 ティムールの第4子で第3代君主のシャー=ルフ(位1409〜47)は、父に従って各地に遠征し、ヘラートの太守であったが、ティムール死後の相続争いに乗じてサマルカンドに入城して即位し、帝国の首都を本拠地のヘラートに遷し、長男のウルグ=ベクをサマルカンドの太守に任命した。

 名君として知られるシャー=ルフの38年間にわたる治世は、ティムール朝が最も安定した時期で、シャー=ルフは対外的には平和外交を展開し、明とは外交関係を回復して親善関係を保ち、オスマン帝国とも講和を結んだ。また彼は父による破壊の修復に努め、学者・芸術家を保護したので宮廷は栄え、ティムール朝は最盛期を迎えた。

 シャー=ルフの死後、子のウルグ=ベク(位1447〜49)が第4代君主となった。ウルグ=ベクは学問を好み、学問を奨励して文人・学者を保護した。彼自身、天文学者・数学者・歴史家であり、特に天文学に優れ、サマルカンドに天文台を建設して天文表を作成した。

 しかし、シャー=ルフの死後、ウルグ=ベクが即位すると、たちまち内乱が生じ、それに乗じて北方からウズベク族が侵入し、ウルグ=ベクは長男に背かれ、捕らえられて殺された(1449)。

 ウルグ=ベクの死後、ティムール朝は混乱・分裂して衰退し、1500年にウズベク族によってサマルカンドを占領され、まもなく9代約140年間続いたティムール朝は滅亡した。




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