3 トルコ世界とイラン世界

3 サファヴィー朝

 ティムール帝国の滅亡後、イランでは長期にわたるトルコ民族の支配から脱したイラン人がアケメネス朝(前550〜前330)・ササン朝(226〜651)に次ぐ久々のイラン民族国家であるサファヴィー朝(1501〜1736)を樹立した。

 サファヴィー朝の創始者であるイスマーイール1世(位1501〜24)は、イラン西北部で神秘主義教団の教主の子に生まれ、神秘主義(スーフィズム=神との合一の境地を理想とするイスラムの神秘主義)集団のトルクメン7部族の支持によって白羊朝を倒してタブリーズで即位し(1501)、1510年までにイラン全土を統一した。

 イスマーイール1世は、ササン朝時代に使われたシャー(ペルシア語で「王」・「支配者」の意味)の称号を用い、イラン人の民族意識の高揚に努めるとともに、シーア派の中の十二イマーム派(シーア派の主流をなす穏健派で、アリーとファーティマの直系の12人を真のイマーム(指導者)とする派)を国教とし、スンナ派のオスマン帝国と対立した。

 サファヴィー朝は、第5代のシャー、アッバース1世(大帝、位1587〜1629)の時に最盛期を迎えた。

 アッバース1世は、国内では建国以来の軍人貴族を抑え、親衛隊を強化して専制君主の地位を確立するとともに、対外的には長年にわたってオスマン帝国と抗争し、アゼルバイシャンとイラクの一部を回復し、またウズベク族の侵入を阻止した。

 また新首都イスファハーンを建設してここに遷都した(1597)。モスク・宮殿・学院・庭園などが次々に建設された壮麗な都市イスファハーンは、当時のコンスタンティノープルと並び称せられ、「イスファハーンは世界の半分」といわれるほど繁栄した。

 1622年にはポルトガル人からホルムズ島を奪回した。またイギリス人が初めてイラン宮廷を訪れたのもアッバース1世の時であった。

 しかし、アッバース1世の治世を頂点とし、その後は無能なシャーが続いたためにサファヴィー朝は次第に混乱して衰退に向かった。そして1722年にアフガン人に首都を奪われてまもなく滅亡した(1736)。

 サファヴィー朝のもとでは、建築・美術・工芸などに代表されるイラン芸術が最高度に発達し、また独特のシーア派神学が完成された。




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