3 産業革命

5 資本主義体制の確立

 産業革命によって、それまでの道具を使用する小規模な手工業に替わり、機械を使用する工場制機械工業が成立・発展し、安価で良質な商品が大量に生産されるようになり、従来の手工業や家内工業は急速に没落した。

 その結果、大工場を経営する産業資本家が労働者を雇って利潤を得ることを目的として商品を生産する経済の仕組み、すなわち資本主義体制が確立し、以後産業資本家は社会・経済・政治の分野で支配的な地位を確立していく。

 産業革命は、機械の使用によって人々の生活が一変し、生活が豊かに便利になったいう経済的な面だけでなく、社会・政治・文化などあらゆる面に大きな影響を与えた。

 産業革命は、人口の都市集中・都市化という現在も進行している現象をもたらした。産業革命期のイギリスでは、木綿工業の中心地として急激に発展したマンチェスター、製鉄を中心とする金属工業で繁栄したバーミンガム、18世紀に奴隷貿易で発展し・産業革命期にはマンチェスターの外港として綿花の輸入や綿織物の輸出によって繁栄したリヴァプールなどのような大商工業都市が発展した。

 マンチェスター・バーミンガム・リヴァプールの1685年頃の人口はそれぞれ6000人・4000人・4000人であったが、1821年には16.4万人・10.2万人・13.8万人となり、さらに1880年には39.4万人・40.1万人・55.2万人の大都市に発展している。

 また産業革命によって労働問題・社会問題が発生した。当時の資本家は利潤の追求のみを考え、機械に使用によって単純になった作業に婦女子や子供を低賃金で雇い、長時間働かせた。

 紡績工場だけでなく、炭坑でも婦女子や子供が働いていた。当時の炭坑の坑道は低くて狭かったので、小柄な女性や子供(通常は8〜9歳であった)が石炭を積んだトロッコを体に結びつけて腹這いになって引いていた。

 あまりにひどい児童労働が問題となり、下院に児童労働の実態調査を行う委員会が設置されて証人喚問が行われた。以下の例はその委員会の報告書(1832)の一部である。文中に少女とあるが多くは8〜9歳であった。

サミュエル=クールスンの証言
「活況の時期には、少女たちは朝のなん時に工場に行つたか。」
「活況の時期には、それは6週間ばかりの期間ですが、少女たちは朝の3時には工場に行き、仕事を終えるのは夜の10時から10時半近くでした。」
「19時間の労働の間に休息あるいは休養のためにどれだけの休憩時間が与えられたか。」
「朝食に15分間、昼食に30分間、そして飲料をとる時間に15分間です。」
「その休憩時間のうちのいくらかが機械の掃除にとられたか。」
「ときにはこの仕事が朝食の時間、あるいは飲料をとる時間をまるまるとってしまいました。」
「このように極端な労働をする子供たちを、朝、目をさまさせるのに大変苦労しなかったか。」
「そうです、早出のときには、彼女たちを仕事に送り出すまえに、身仕度させるために床の上におろすとき、眠つたままでいるのをかかえあげ、ゆすぶらなければなりませんでした。・・・。」
「もしも彼女たちが僅かに遅刻したとして、この長時間のあいだにその影響はどうなったか。」
「彼女たちは労働時間が最も長いときでも、最も短かいときと同様にクォータされました。」
「クオータとはなんのことか。」
「賃金を4分の1減らされることです。」
「どのくらい遅れたらクォータされるのか。」
「5分間です。」
「この長期間労働の期間に、彼女たちが寝床に入っていられる時間の長さはどれだけだったか。」
「わずかな食事をとったあとで11時近くなってやっと彼女たちを床につかせることができました。」
「それではこの場合には彼女たちは4時間以上の睡眠をとらなかったのだね。」
「そうです。とりませんでした。」
「それはどのくらいの期間継続したのか。」
「6週間ばかり継続しました。」
「普通の労働時間は朝の6時から夜の8時半までだったのだね。」
「そうです。」 (平凡社『西洋史料集成』より)

 このように当時の労働者は、不衛生な住居と食事・危険な職場での過度の労働・貧困に苦しみ、みじめな生活を強いられていたので、彼らは次第に目覚め、労働組合の結成をはかったり、労働運動を起こすようになる。また悲惨な労働者を救済するために資本主義体制の変革や廃止を主張する社会主義思想が生まれてくる。




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