2 自由主義と国民主義の進展

8 北ヨーロッパ諸国

 スウェーデンは、ナポレオン戦争でフィンランドをロシアに奪われたが、ウィーン会議ではデンマークからノルウェーを同君連合として割譲させた。19世紀半ば以降、対外的平和と国内の民主化に努力し、二院制議会を設ける(1866)など立憲王国として発展した。

 ノルウェーは、ウィーン会議の結果、デンマーク領から同君連合のスウェーデン領となった。その後の独立運動の結果、1905年に国民投票によって平和的に独立を達成した。

 デンマークは、ナポレオン戦争でノルウェーを失った。1848年には二月革命の影響を受けて立憲君主制を宣言して自由主義的な憲法を制定した。デンマーク戦争(1864)でプロイセン・オーストリアにシュレスヴィヒ・ホルシュタインを奪われ、以後は対外平和政策と福祉政策の充実・農牧業を中心とする国づくりに努め、民主的な立憲王国への道を進んだ。


9 国際的諸運動の進展

 1851年にロンドンで第1回万国博覧会が開催されたが、それはイギリスの国力を誇示する場でもあった。1855年にはナポレオン3世が勢威を誇示するためにパリで第2回万国博覧会を開催した。1862年には再びロンドンで万国博覧会が開催されたが、この時フランスの労働者代表がイギリスに渡り、労働者の国際的組織設立の動きが始まった。

 そして1863年のポーランド反乱に対するイギリス・フランスの労働者の支援運動が契機となり、1864年9月にロンドンで第一インターナショナル(国際労働者協会、1864〜76)が結成された。創立宣言を起草したマルクスがその指導者となったが、まずプルードン派と、次いでバクーニンらの無政府主義者と対立した。こうした内部対立とパリ=コミューン(1871)を公然と支持して各国政府から弾圧され、1876年に解散した。

 第一インターナショナル解散後は各国別に運動が展開されていたが、1889年7月にパリでフランス革命百年祭が催されたときに、欧米19カ国の代表によって第二インターナショナル(1889〜1914)が結成された。第二インターナショナルは、各国の社会主義政党が中心となって組織され、特にドイツ社会民主党が指導的な地位を占めた。しかし、第一次世界大戦の勃発で、各国社会主義政党が自国政府の戦争を支持したために崩壊した。

 19世紀末、帝国主義列強の対立によって戦争の危機が迫るなかで、ロシア皇帝ニコライ2世の提唱によって万国平和会議が1899年と1907年の2回にわたってオランダのハーグで開催された。第1回会議には26カ国が、第2回会議には44カ国が参加した。

 平和確保のための軍備縮小が論議されたが成果は得られなかったが、第1回会議では国際仲裁裁判所の設立が決まり、1901年にハーグに設置された。国際仲裁裁判所は国際紛争の平和的解決を目標としたが、第一次世界大戦前にはほとんど成果をあげることは出来なかった。

 この間、クリミア戦争におけるナイティンゲールの活躍とイタリア統一戦争でのソルフェリーノの戦いを目撃してその惨状に心をうたれたスイス人のデュナン(1828〜1910)の提唱によって、1864年に26カ国が参加して国際赤十字社が設立された。

 またフランスのクーベルタン(1863〜1937)の提唱によって近代オリンピック大会が始まり、1896年にアテネで第1回国際オリンピック大会が開催された。

 その他、国際電信連合(1865年創設)や万国郵便連合(1875年に成立)などの国際的な機関もつくられた。 




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