3 アメリカ合衆国の発展

1 民主主義の発達と領土の拡大(その1)

 アメリカ合衆国では、1789年に連邦政府が発足し、ワシントン(任1789〜97)が初代の大統領に就任した。ワシントンは大統領を2期務め、3選を固辞して「告別の辞」で中立の必要を説いて引退した。

 独立宣言の起草者の一人でワシントンのもとで副大統領を務めたアダムズがフェデラリスト(連邦派)の指導者として第2代大統領に就任した(任1797〜1801)。

 1800年の大統領選挙では、アンチ=フェデラリスト(反連邦派)のジェファーソンがアダムズを破って第3代大統領となったが、この出来事は「1800年の革命」と呼ばれた。

 ジェファーソン(1743〜1826、任1801〜09)は、ヴァージニアのプランター(大農園主)の子に生まれ、弁護士となり、ヴァージニア植民地議会議員を経て大陸会議の代表となり、独立宣言の起草者となった(1776)。ワシントン大統領のもとでは初代国務長官となったが、ハミルトンやアダムズらのフェデラリストと対立して国務長官を辞任した(1793)。そしてアンチ=フェデラリスト(反連邦派、1787年の憲法草案に反対した人々)を中心にリパブリカン党(後に民主共和党に発展)を結成し、1800年の大統領選挙でフェデラリスト(連邦派)のアダムズを破って第3代大統領となった。

 ジェファーソンは民主主義の発展に努め、少数意見の尊重・憲法によって保障された権利と自由を維持すること・州の正当な権限を保障することなどを主張し、自営農民こそが民主主義の中核だと考えた(ジェファーソニアン=デモクラシー)。こうした彼の民主主義に対する考え方は後世に影響を与え、リンカーンはジェファーソンを「アメリカ民主主義の父」と呼んだ。

 ジェファーソン在任中の出来事の中で、以後の合衆国の歴史にとって最も重要な出来事の一つとなったのが、1803年のルイジアナ購入である。

 ジェファーソンの在任中はナポレオンの全盛期であった。ナポレオンはスペインからミシシッピ以西のルイジアナ(1763年にフランス領からスペイン領となる)を取り戻したが、ジェファーソンは西部農民の要請を受けてフランスと交渉し、ナポレオンからルイジアナを購入した。

 ルイジアナはミシシッピ川とロッキー山脈にはさまれた面積約214万平方km(日本の国土面積は約37.8万平方km)の広大な地域であったが、合衆国はこれをわずか1500万ドル(1平方km当たり約7ドル)で購入し、これによって合衆国の領土は倍増した。

 ナポレオン戦争(1796〜1815)が始まると、ジェファーソンはワシントン以来の中立主義をとり、貿易上の利益を得ていたが、イギリスがナポレオンの大陸封鎖に対抗するために海上封鎖を行って通商を妨害したので、議会では対英開戦論が強まった。

 第4代大統領マディソン(任1809〜17)の在任中、1812年6月に合衆国はイギリスに宣戦し、米英戦争(アメリカ=イギリス戦争、1812.6〜14.12)が始まった。

 アメリカはカナダの奪取をねらったが失敗し、海軍もイギリス海軍に封鎖された。米・英ともに決定的な勝敗をみないうちに、ヨーロッパでナポレオン戦争が終わったので、米・英ともに継続する理由がなくなり、ガン条約が結ばれて米英戦争は終結した。

 戦争中にイギリス商品が全く入ってこなくなったので、米英戦争はアメリカの経済的な自立を促し、木綿工業を中心とするアメリカの諸産業が発展した。このため米英戦争は、政治的な独立を果たした独立戦争に対して、経済的な独立を果たしたという意味で「第二次独立戦争」と呼ばれている。

 第5代大統領モンロー(1758〜1831、任1817〜25)は、ヴァージニア州出身でヴァージニア州選出の下院議員を経て上院議員となり、アンチ=フェデラリストの指導者として活躍し、ジェファーソン大統領のもとで国務長官を務めた。1816年の大統領選挙でリパブリカン党から立候補して当選し、大統領を2期務めた。

 モンローはラテン=アメリカ諸国の独立を支援し、メッテルニヒがラテン=アメリカ諸国の独立運動に干渉しようとすると、1823年にモンロー宣言(教書)を発し、相互不干渉主義を主張してこれに反対した。モンロー宣言は、ワシントン以来の中立政策をより明確に表明したもので、後の孤立主義に発展し、合衆国の外交政策の基本方針となった。

 第7代大統領ジャクソン(1767〜1845、任1829〜37)は西部出身の最初の大統領として、「ジャクソニアン=デモクラシー」を推進した。

 ジャクソンは、当時の西部辺境であったサウス=カロライナ州の貧しい開拓民の子に生まれ、テネシー州選出の下院・上院議員となり、米英戦争では司令官としてイギリス軍に大勝して一躍国民的英雄となった。1828年の大統領選挙で庶民の支持を得て当選し、西部出身の最初の大統領となり、また庶民の大統領として注目された。

 ジャクソンは、西部の自営農民・東部の小市民や労働者らの要求を巧にとらえ、特権や独占に反対して庶民の側に立って民主主義を推進した。普通選挙制度・公立学校の普及・婦人参政権運動の始まり・官職交替制・特権に反対する自由企業の発展などの民主化が進展したので「ジャクソニアン=デモクラシー」と呼ばれた。

 ジャクソンの支持者たちは1820年代に南部を主な基盤とする民主党を組織した。これに対して反ジャクソン派は北部を主な基盤とするホイッグ(ウイッグ)党を組織した(1834)。後にホイッグ党を中心に、奴隷制反対をスローガンとする共和党が結成された。 




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