3 アメリカ合衆国の発展

3 南部の再建

 南北戦争が終わってから、1877年に南部諸州が合衆国に復帰するまでの時期は「再建」の時期といわれている。

 リンカーンは、南部が奴隷解放さえすれば寛大な条件で出来るだけ早く合衆国に復帰させようと考えていた。彼の暗殺後大統領となったジョンソン(位1865〜69)もリンカーンの方針を受け継いで南部の再建をはかろうとした。

 しかし、共和党の急進派はこれに反対し、独自の再建案をつくり、1867年3月に再建法が成立した。この再建法は、南部を5つの区域に分けて北軍の軍政下におくこと、黒人の選挙権と黒人に白人と同等の市民権を保障する州憲法を制定することなどを規定し、これを南部諸州が連邦に復帰する絶対条件とした。この再建法はその後10年間にわたって行われたが、1877年に軍政が解かれた。

 南北戦争後、1865年には憲法修正第13条によって合衆国内における奴隷制度が全面的に廃止され、翌年には黒人の市民権を保障する市民権法が成立し、これは憲法修正第14条として1868年に確立した。さらに黒人の選挙権を保障する憲法修正第15条も1869年に議会で可決され、翌年発効した。

 しかし、解放された黒人には市民権や選挙権は与えられたが、土地は与えられなかったので経済的に自立することが出来ず、大部分はシェア=クロッパー(分益小作人)となった。彼らは、地主から土地・住居・種子・農具・家畜などを貸し与えられたが収穫の約半分を地主に納めなければならなかったので、黒人は貧しい・苦しい生活を強いられた。

 また白人たちはK・K・K(クー=クラックス=クラン)と呼ばれる反黒人秘密結社を結成し(1865)、黒人を襲い・暴行を加え・投票場に行くことを妨害するなど暴力的な迫害を行い黒人に恐怖を与えた。

 こうして合衆国復帰後の南部諸州では、次第に白人支配が復活し、州法その他によって黒人の市民権や選挙権が骨抜きにされ、黒人に対する社会的差別待遇を進めたので、黒人問題は20世紀の後半までその解決が持ち越されることとなった。




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