3 アメリカ合衆国の発展

4 大西部の開拓と工業の発達

 南北戦争中に制定されたホーム=ステッド法(1862)によって、公有地に5年間定住し開拓した者には160エーカーの土地が無償で与えられることになったので、西部に多くの農民が進出し、西部開拓が急速に進んだ。

 またコロラドでゴールド=ラッシュが起こり(1859)、同じ頃ネヴァダでも金・銀鉱が発見されたので、金・銀の採掘を目ざす鉱夫たちが西部に進出した。次いで大平原(ロッキー山脈以東に広がる草原地帯)で放牧を行う牧畜業者が進出し、1860年代から80年代にはカウ=ボーイによる牛のロング=ドライブが行われ、数百万頭の牛が東部の市場へ送られた。

 さらに1870年代の終わり頃から、乾燥地帯での農業技術の進歩・機械化などに助けられて農民が大平原に進出し、大平原は世界一の穀倉地帯になっていく。なおこの農民の大平原への進出には有刺鉄線の発明(1874)が大きな役割を果たしたといわれている。

 西部の発展に伴い、東部と西部を結ぶ鉄道建設が行われ、1869年には最初大陸横断鉄道が完成した。これによって西部の開拓と国内市場の統一がますます促進され、1890年代にはフロンティアがついに消滅した。

 南北戦争は、経済の面からみると、北部産業資本と南部プランテーション奴隷制度との戦いであった。そして北部産業資本の勝利によって、南部は北部の市場に組み込まれ、西部市場の拡大とあいまって広大な国内市場が出来上がった。この広大な国内市場を基盤として南北戦争後アメリカ資本主義は急激に発展した。

 特に石炭・製鉄・石油などを中心とする工業がめざましく発展し、合衆国は農業国から工業国へ転換し、1890年代にはイギリスを追い抜いて世界一の工業国となった。

 このような工業発展の原因の一つとなったのが安価な労働力としての移民の流入であった。南北戦争後、それまでの西ヨーロッパ・北ヨーロッパからの「旧移民」の数が減少し、南ヨーロッパ・東ヨーロッパ・アジアからの「新移民」の数が増大した。この頃になると西部で自営農民になることは次第に不可能になっていたので、「新移民」の多くは都市に集中して未熟練労働者となった。このためスラム街の出現などの社会問題が生み出された。

 対外的には、カリフォルニアの獲得によって領土が太平洋岸に達し、太平洋への関心が高まる中で、1853年にはペリーが浦賀に来航し、翌年日米和親条約が結ばれた。

 南北戦争中に行われたナポレオン3世によるメキシコ出兵(1861〜67)に対して、合衆国は南北戦争が終わるとモンロー主義の立場から激しく抗議し、フランス軍を撤兵に追い込んだ。

 アラスカは、ベーリングの発見によってロシア領となり(1741)、その後はロシア=アメリカ会社が植民地経営に当たった。19世紀初めにはロシア人は太平洋岸沿いに南下した。1823年に出されたモンロー宣言には、ロシア人の太平洋岸への南下を抑えるという目的もあった。その後1866年にはロシアからアラスカを売却したいという申し出があり、合衆国内には反対の声も強かったが1867年に720万ドルで買収した。そのアラスカでは19世紀末にゴールド=ラッシュが起こり、1958年には第49番目の州となった。




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