4 19世紀のヨーロッパ文化

1 文学

 17世紀のフランスに始まった古典主義は、18世紀中頃から19世紀初期にはドイツで盛んとなった。

 ドイツでは、1770年代から、世俗的な道徳や因襲を否定し、個性や感情と自然を尊重する「疾風怒濤(シュトルム=ウント=ドランク)」と呼ばれる革新的な文学運動が起こった。若き日のゲーテやシラーが中心となったこの運動は10年ほどで衰退した。ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』(1774)やシラーの『群盗』は疾風怒濤期を代表する作品である。

 ゲーテ(1749〜1832)は、「疾風怒濤」の文学運動の中心人物で、後にシラーとともにドイツ古典主義文学を大成した。晩年の作品『ファウスト』はゲーテの古典主義の代表作とされている。ゲーテはヴァイマル(ワイマール)公国の宰相を務めるなど政治家としても活躍した。

 シラー(1759〜1805)もゲーテとともに疾風怒濤期の代表的な作家であり、後にはゲーテとともにドイツ古典主義文学を大成した。彼は歴史研究者でもあり、史劇に優れた作品を残した。『ヴァレンシュタイン』・『オルレアンの少女』・『ヴィルヘルム=テル』の三部作の史劇は彼の代表的な作品である。なおヴァレンシュタインは三十年戦争で活躍した傭兵隊長、オルレアンの少女とは百年戦争の末期に活躍したフランスの愛国的少女ジャンヌ=ダルクのことであり、ヴィルヘルム=テルはスイスの独立運動で活躍した伝説的英雄である。

 18世紀末から19世紀前半にかけては古典主義に対抗してロマン主義が現れて盛んとなった。ロマン主義は、当時盛んであった啓蒙主義の主知主義に反発し、個性や感情を重んじ、歴史や民族文化の伝統を尊び、中世を讃美した。ドイツのハイネ・イギリスのバイロン・フランスのユーゴらはロマン主義を代表する詩人・作家である。

 ハイネ(1797〜1856)は、ユダヤ系ドイツ人で、ウィーン体制下で自由主義を唱え、七月革命に刺激されてパリに亡命し、マルクスらと交わって社会主義に傾き、革命詩人と呼ばれた。

 バイロン(1788〜1824)は、『チャイルド=ハロルドの遍歴』で有名となり、後にギリシアの独立戦争に義勇兵として参加するためにギリシアに渡ったが病死した。

 ユーゴ(1802〜85)は、最初は詩人として有名になり、後に劇作家・小説家として名声を博した。彼は次第に政治に関心を寄せ、二月革命後は共和主義者として議員に選出された。ナポレオン3世が政権を握ると反対の立場をとって国外追放になり、英仏海峡の小島で8年間に及ぶ亡命生活を送り(1852〜70)、ここで大作『レ=ミゼラブル』(1862)を書いた。第二帝政崩壊後はパリに戻って上院議員にもなった。

 彼らの他にロマン主義を代表する詩人・作家を列挙すると、ドイツでは初期ロマン派の詩人であるノヴァーリス(1772〜1801)・ロマン主義運動の理論家シュレーゲル兄弟(兄1767〜1845、弟1772〜1829)・『子供と家庭のための童話』(グリム童話集)で有名なグリム兄弟(兄1785〜1863、弟1786〜1859)らがいる。

 フランスでは、ネッケルの娘で熱烈な自由主義者でナポレオンに追われて各地に亡命したスタール夫人(1766〜1817)・ナポレオンと復古王政に仕えた政治家でもあるシャトーブリアン(1768〜1848)など、イギリスでは湖畔の詩人と呼ばれたワーズワース(1770〜1850)、『湖上の美人』や歴史小説『アイヴァンホー』で有名なスコット(1771〜1832)など、そしてロシアでは、ロシア国民文学の創始者で『オネーギン』や『大尉の娘』を書いたプーシキン(1799〜1837)などがあげられる。

 またアメリカでは、アメリカの知的独立宣言とされる『アメリカの学者』と題する講演を行ったエマーソン(1803〜82)・ピューリタン文学者で代表作『緋文字』で知られるホーソン(1804〜64)・詩集『草の葉』でアメリカ民主主義を讃美したホイットマン(1819〜92)らが活躍した。

 19世紀後半になると、資本主義が発達し、市民階級の力が大きくなるとともに労働者階級の悲惨な生活が社会問題となった。また科学・技術の急速な発達が文学にも影響を及ぼし、非現実的なロマン主義に対する反動として、社会や人間を客観的にありのままに描こうとする写実主義・自然主義がフランスでおこった。

 フランスの写実主義を代表する作家はスタンダール・バルザック・フロベールらである。ナポレオンのロシア遠征にも従軍したスタンダール(1783〜1842)は『赤と黒』・『パルムの僧院』などによってフランス写実主義の先駆的作家とされる。バルザック(1799〜1850)は『人間喜劇』(約90の短編小説の総称)で市民社会と小市民の姿を描いた。またフロベール(1821〜80)は『ボヴァリー夫人』(1857)によってフランス写実主義文学を確立した。

 フランスに起こった写実主義は、その後イギリス・ドイツ・ロシアに及んだ。
 イギリスでは、『虚栄の市』で19世紀初めのイギリス上流・中流社会を描いて諷刺したサッカレー(1811〜63)、『オリヴァー=トゥイスト』など下層社会に題材をとり下層階級を同情的に描いたディケンズ(1812〜70)らが代表的な作家である。なおディケンズの『二都物語』はフランス革命を背景にパリとロンドンを舞台とする優れた歴史小説で彼の代表作の一つとされている。

 ロシアでは、農奴制下のロシアの頽廃・矛盾・不正を描いたゴーゴリ(1809〜52)が『死せる魂』などを書いて写実主義を確立した。トゥルゲーネフ(1818〜83)は、『父と子』(1862)で農奴解放後のロシア社会及び新旧世代の対立とニヒリスト(虚無主義者)を描いた。

 ドストエフスキー(1821〜81)は、社会主義を研究するサークルに関係してシベリアに流刑となり4年間囚人生活を送った。この間にギリシア正教に心の拠り所を求め、その後は革命に反対した。以後、大作『罪と罰』(1866)・『カラマーゾフの兄弟』(1880)などで帝政末期のロシア社会の諸相を鋭く浮き彫りにし、人間の魂の苦悩と救済を描いた。

 トルストイ(1828〜1910)は、古い貴族の家に生まれ、軍隊に入ってクリミア戦争に従軍した。軍務を退いた後は自分の領地で地主として暮らし、農民の教育にも務めた。ナポレオンのロシア遠征を背景にロシア貴族の生活を描いた歴史小説の『戦争と平和』(1869)や1860年代のロシア貴族社会を背景に人妻アンナの悲恋を描いた『アンナ=カレーニナ』(1877)で世界的な名声を博し、晩年には『復活』など宗教的な人道主義の作品を多く書いた。

 1870年代以後は写実主義をさらに強調し、現実を実験科学的にとらえて表現する自然主義が盛んとなった。

 フランスの自然主義文学を代表する作家ゾラ(1840〜1902)は、「科学者が実験室で観察するように冷静に人間及び社会を観察し、遺伝と環境によって形成される人間を描く」ことを主張し、『ナナ』・『居酒屋』などでパリの労働者社会の悲惨な生活を描いた。またゾラはドレフュス事件(1894〜99)で被告のドレフュスの無罪を主張し、「私は弾劾する」の論陣をはった。

 ゾラと並んでフランス自然主義文学を代表するモーパッサン(1850〜93)は、『女の一生』(1883)で有名であるが、彼には短編・中編の方が多く、短編小説形式の完成者とされている。

 女主人公ノラを中心に女性解放を主題とした戯曲『人形の家』を書いたノルウェーの劇作家イプセン(1828〜1906)やスウェーデンのストリンドベリ(1849〜1912)らも自然主義の代表的な作家として知られている。




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