4 19世紀のヨーロッパ文化

5 地理上の探検

 19世紀は探検家の時代でもあった。探検家たちは未知の土地を求めてアフリカ・北極・南極・中央アジアへと出かけていった。

 18世紀後半、イギリスのクック(1728〜79)は3回にわたって太平洋を探検した。第1次航海(1768〜71)でタヒチ島・ニュージーランド・オーストラリア東岸を、第2次航海(1772〜75)では南極圏に到達し、第3次航海(1776〜79)ではタスマニア島・ニュージーランド・タヒチを経てハワイに至り、さらに北上して北極海の一部に入ったが、帰途ハワイで島民に殺された。

 19世紀に入っても、サハラ砂漠以南のアフリカ内陸部はヨーロッパ人にとっては未知の大陸であった。イギリスのリヴィングストン(1813〜73)は、宣教師としてアフリカに赴き、1840年代から約30年間にわたってアフリカ奥地の探検を行ってヴィクトリア瀑布などを発見した。ナイル川の水源を探る探検に出て、一時消息不明となったがスタンリーに救出された。

 イギリス生まれのアメリカ人であるスタンリー(1841〜1904)は、リヴィングストン捜索のためにアフリカに渡り、タンガニーカ湖畔で感激の対面をした。後にベルギー王の援助でコンゴー地方を探検し、アフリカ大陸の横断に成功した。

 中国の奥地や中央アジアへの学術探検も19世紀末に始まった。スウェーデンの地理学者・探検家のヘディン(1865〜1952)は中央アジア・チベット・タリム盆地などを4回にわたって探検し、ロブ=ノールの桜蘭(シルク=ロードの要衝として栄えたが、前漢の武帝に征服され、漢の属国となった)遺跡を発見した(1901)。またイギリスの考古学者・探検家のスタイン(1862〜1943)は4回にわたって中央アジアを探検し、敦煌文書を発見・紹介した。

 極地探検も19世紀末から始まった。ノルウェーのナンセン(1861〜1930)は北緯86度に達し、極地が海洋であることを確かめた(1895)。その後、アメリカのピアリ(1856〜1920)が1909年に初めて北極点に到達した。

 ノルウェーのアムンゼン(1872〜1928)は、北極点到達をピアリに先んじられたので、目標を南極点に向け、1911年12月に南極点に初めて到達した。この時、イギリスのスコット(1868〜1912)が南極点到達を競ったが、アムンゼンに35日遅れ、1912年1月に南極点に到達した。スコットは本船に戻る途中で吹雪にあって氷原で没した。




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