1 オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒

1 オスマン帝国支配の動揺

 オスマン=トルコ帝国は、16世紀の最盛期にはアジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがる大帝国を形成した。しかし、その頃にはヨーロッパですでに「大航海時代」が始まっていた。これによってヨーロッパ人はアフリカの南端を回ってアジアへ到達できるようになったので、ヨーロッパとアジアの要の位置を占めていたオスマン=トルコの世界交通上の重要な地位は失われることとなった。

 まずポルトガルがインド洋に進出したが、やがてイギリスがインド洋の制海権を握るようになり、17世紀にはペルシア湾岸のバスラに東インド会社の商館を設立した。サファヴィー朝の最盛期の王アッバース1世(位1587〜1629)は、イギリス東インド会社艦隊の協力を得て、ポルトガル勢力をホルムズ島から追放した。

 オスマン=トルコ帝国は、1683年の第2次ウィーン包囲の失敗で大打撃を受け、これによってオスマン=トルコのヨーロッパ進出が終わり、以後ヨーロッパからの後退が始まった。オスマン=トルコは1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーとトランシルヴァニアをオーストリアに割譲した。

 以後オスマン=トルコ帝国とオーストリア・ロシアなどのヨーロッパ諸国との力関係は逆転し、18世紀に入るとオスマン=トルコは北セルビアをオーストリアに、また黒海北岸とクリミア半島をロシアに奪われた。

 オスマン=トルコ帝国がヨーロッパにおける領土を次々に失っていくと、その支配下にあったアジア・アフリカでも民族的な自立を求める動きが始まった。そして19世紀になると、ヨーロッパ列強の進出とその支配下にあった諸民族の自立により、オスマン=トルコの領土は縮小の一途をたどった。




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