伯爵の子

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 昨日からマサトは自室に籠もりっきりだ。昼夜を問わずカーテンを閉め切った真っ暗な部屋で、二十四時間つけっぱなしのテレビと、パソコンの液晶モニターが水槽の奥のような光を放っている。
 普段ならろくに見もしないテレビニュースだが、今日ばかりは気が気ではない。インターネットにつないでもオンラインゲームやアダルトサイトに寄り道せず、新聞社のホームページや掲示板のニューストピックスを虱潰しに当たっている。
 どこの報道を見ても扱いはきわめて素っ気ないものだった。よくある話、軽微な犯罪ということらしい。だが彼にとっては深刻だ。「伯爵」が逮捕されたのだ。
 杉並区在住、無職、黒木紳一容疑者、三十歳。無限連鎖講防止法違反の容疑で逮捕――。
  それがあの「伯爵」だと気付いたのは昨日、何の気なしに目にしたニュース番組に映し出されたメールの文面に見覚えがあったからだ。
 ちょっとしたマネーゲーム。入会金はわずか五千円。誰も損しないし、誰も傷つけない。それでいてみんな小遣いが稼げてハッピーになる。仲間を増やせば増やすだけ実入りも増える。参加するなら早いほうがお得――。
 それがいわゆるネズミ講と呼ばれるものだとは知らなかったし、そもそもネズミ講というものが違法だということも知らなかった。オンラインゲームで知り合った「伯爵」に話を持ちかけられたときも、それが犯罪だとは思いも寄らなかったし、いまもって、なぜそれが罪に問われるのか理解できない。参加者みんなが納得しているというのに、いったい誰が害を被ったというのだろう?
 試しにネットでネズミ講について調べてみるが、法律用語や数式などが引用されていて彼にはさっぱり解らない。ただひとつ理解できたことといえば、騙す意識がなかったとしても、他人を勧誘しただけで罪に問われ、刑に服す羽目に陥るということだ。
(まずいよ)
 彼も「伯爵」の誘いに乗って、マネーゲームに参加した一人だった。お年玉の残りで入会金を払い、それを取り返すためにいろんなところで話を持ちかけたのだ。たいていは相手にされなかったが、それでも何人かは興味を示し、勧誘に成功した。参加者を集めるたびに、取り決めどおりの報酬が振り込まれ、それに気を良くして彼は精力的に参加者を募ったものだ。
 つまり彼もまた知らぬ間に「あちら側」に回っていたのである。
(やばいよ)
 こんなとき、相談できる相手が彼にはいなかった。両親に話せば一悶着起きるし、こっそり法律相談事務所に行くには金もなければ度胸もない。
 物知りで、世慣れていて、経験豊かな相談相手。そんな便利な人間が――。
 ――いた。
 思い至り、慌ててオンラインゲームに接続する。ログインすると何はともあれ冒険者の集う酒場に向かい、目当ての人物を捜し回る。
 魔術師ヴァン、通称「教授」。今まで何度かパーティを組んで冒険した仲だ。なぜそんなあだ名を付けられているかというと、魔術師ヴァンを操作している人物は、とある法学部の教授だか助教授だという噂があるからだ。
 法学部の教授なら法律にも詳しいはずだし、彼になにがしかのアドバイスを与えてくれるかもしれない。
 それを期待して、彼は冒険者の集う酒場「黒牛亭」をノックする。
「おつかれーっす」
  常連客の気安さでマサトは声を掛ける。何しろ暇は腐るほどある。他の連中が仕事や学校に行っている間も冒険と戦闘を繰り返しているのだ。当然、彼のキャラクター、戦士のマーカスはかなり高いレベルまで成長しており、冒険者たちからも一目置かれている。
 パーティに高いレベルの仲間がいるだけで、戦闘はぐっと楽になる。そんなわけでいつもなら、戦士のマーカスは引っ張りだこ。酒場に足を踏み入れただけで、助太刀を乞う冒険者から声を掛けられる。
 だが今日はちょっと様子が違う。
 マーカスが話しかけても、冒険者たちはなぜかよそよそしい。昵懇の仲である狩人のレヴなどは、
「無事だったんですか、マーカスさん?」
「無事って何が?」
「聞いてないんですか? 伯爵、逮捕されたらしいですよ」
 内心血の気の引く思いだが、マサトは素知らぬ振りでキーを打つ。
「逮捕って何やったの、あの人?」
「ネズミ講ですよ」
 ああ、そうなのだ。伯爵はこちらの世界でも、ずいぶん手広く勧誘していたのである。だからマサトが気付いたように他の冒険者も、あの逮捕された男が「伯爵」だと察したのはおかしなことじゃない。
「――で、ほら。マーカスさんもひとくち噛んでたじゃないですか。だから心配してたんですよ、俺たち」
 ああ、そうだった。マサトもまた、こちらの世界でいろいろと話を持ちかけていたのだった。ときには助太刀してやる代わりにどうだと誘ったり、レベルの低い冒険者には入手困難なアイテムを取ってくる代償としてマネーゲームに誘ったりしたこともある。
「俺は関係ないよ。伯爵に騙されたんだ、俺も」
 我ながら苦しい言い訳だ。確かに伯爵は利己的な意図で彼をネズミ講に誘った。その時点では彼も被害者であるといえるかもしれない。しかしネズミ講に参加したあとの彼は、やはり利己的な意図で他の人間に声を掛けてきたのだ。初めは元手を回収するために。そのあとはちょっと小遣いを稼ぐために――。
「ところでさ」
 震える指でキーを叩く。
「教授、今日見てない?」
「教授ですか? さあ、俺は会ってないですね。元々あの人、あんまり顔見せないし」
  教授こと魔術師のヴァンは、このオンラインゲーム発足当時からいる最古参の冒険者だ。しかし多忙なのかそれほど冒険に来ない。
「教授に何か用ですか?」
「いや、用ってほどじゃないけど。何やってるのかなと思って」
 焦りと失望がマサトを苛立たせる。教授がいないのならここにいても仕方がない。
 と、そのとき、新たな冒険者が酒場の扉を押し開ける。
「――ご無沙汰」
 教授だ。
 マサトは胸中、快哉を挙げた。慌てて駆け寄り話しかける。
「お久し振り、教授。何やってたの?」
 教授はやめてくださいよ、と魔術師ヴァン。「教授」はあくまでもあだ名である。何となくそれが通り名になっているが、別段この世界で教授と名乗っているわけではない。
「これから何か予定ある?」
「いや、ぶらっと顔出しただけですけど。どうしたんですかマーカスさん?」
「じゃあさ、ちょっとそこらまで出掛けてみない?」
 ずいぶん強引なお誘いですね、と教授。
「まるで中学生のデートみたいですよ(笑)」
 だがこっちとしてはそんな軽口に付き合っていられる心境ではない。果たして自分も法的責任が問われるのか。問われた場合、どれほどの罰則が課せられるのか。それを免れる可能性はどれほどか。訊きたいことは山ほどあった。
 できれば二人だけで、とマーカスが言うと魔術師ヴァンは、
「じゃあヴァンパイアの洞窟なんてどうですか?」
 確かにヴァンパイアの洞窟は手頃なスポットだ。出現する化け物の大半はコウモリばかりで、マーカスほどレベルの上がった冒険者なら恐れるに足らない雑魚ばかり。
 唯一、警戒すべきは最深部に巣くうヴァンパイア・ロード。特にその吸血攻撃はたちが悪い。衰弱した冒険者が吸血攻撃を受けると、死んでしまうどころか、今度は操作不能の吸血鬼となって仲間を襲うようになるのである。つまり先ほどまでの仲間が、突然モンスターの側に回って襲いかかるのだ。かつて低レベルの冒険者たちが二十人という大パーティで踏破を試み、お互いに血を吸い合って全滅したこともあった。
 要するに、ヴァンパイアの洞窟を攻略する最も無難なやり方は少数精鋭、それに尽きる。頼りない仲間とつるめばそれだけ危険も増えるのだ。
 その点、教授こと魔術師ヴァンはキャリアを積んだ冒険者だ。コウモリなどは火炎魔法で一掃していく。ちょっと手強い人狼や食屍鬼も、歴戦の猛者マーカスが振るう大剣にかかればひと薙ぎだ。
 マーカスとヴァン。たった二人の冒険者の通った後は死屍累々の惨状だ。ほとんど傷を負うこともなく、ベテラン冒険者たちは最深部に歩みを進める。
「――教授。伯爵が逮捕されたっていう話、聞きましたか?」
「ええ」
 魔術師ヴァンは指を一振り。毒霧にまかれたコウモリが地に落ちる。
「俺も、ちょっとだけ仲間になってたんです」
「らしいですね」
 物陰から飛び出してきた黒犬。マーカスの一撃で弾け飛ぶ。
「俺もやばいですかね」
 どうでしょうかね、と教授。 「ああいうのは被害者と加害者の区別が難しいですからね。たいてい捕まるのは首謀者とその周辺だけですよ」
 それを聞いてほっとした。少なくともマサトは首謀者ではない。あくまでも彼は伯爵の「子」である。素知らぬ顔をして被害者面していれば乗り切れるのではないかという気もしてきた。
 と、BGMが変化する。強敵の予感にマサトは気を引き締める。
 岩盤むき出しの背景にそぐわぬ夜会服。漆黒の髪をオールバックになでつけた伊達男。紅く小暗く輝く瞳。やけに艶めかしい薄い唇を開けば、顎の左右にナイフのような犬歯。
 洞窟の主、ヴァンパイア・ロードのお出ましだ。

 

 

(2/2)へ続く

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