逢魔が刻
かつて松永弾正が謀反を起こしたと聞いたとき、何故そのようなことをしたのか彼には理解できなかった。
弾正が信貴山城の火薬庫に火をつけ爆死した後も、彼はつらつらと思いを巡らせ、そしてようやく、それがあの男の性なのだ、と結論づけた。弾正の人生は裏切りと謀略の積み重ねであり、その性向は老いても矯め直すことができなかったのだ、そう考えて彼は自分を納得させたものだった。
一年後、荒木摂津守が反旗を翻したと聞いたときも、同様に彼は驚いた。だがそれも時間が経つにつれ、やはり彼は収まりの良い理由を見繕った。つまり摂津守は情勢を見誤っただけなのだ、と。
だがそのような賢しらげな推論が的を射たものであったかどうか、いまの彼にははなはだ疑問だった。当時の政治状況、織田家中での立場、あるいはその人物の骨柄性根、それら諸々が謀反の一因であったことは確かであろうが、人が危険な決断を下すとき、そのような要素とは無縁な「何か」が背中を押すのではないか。
この数日、そんな思いがしてならない。
ある日、彼はふと気付いたのだ。織田家中の主立った者は北陸、あるいは山陽、関東へ出兵しており、まとまった軍勢を洛中へ入れることのできる者はいない。ただ一人の例外は彼だった。彼だけが京を眼前に控えた丹波の地に、万を超える兵卒を擁している。これから彼はこの軍兵を率い、備中で苦戦する羽柴筑前守を援護するよう命ぜられていた。
最初、この軍事的真空状態に気付いたとき、彼は肌が粟立つような思いがした。日本列島の半分を膝下に敷き、世に隠れなき天下人として振る舞う主君、織田信長はいま、無防備にもわずかばかりの近従を連れただけで本能寺へ逗留している――。
だが即座に彼は自分を戒めた。確かに信長には含むところもあった。信長は傍若無人な男で狂疾的な癇癪持ちである。そして傲慢な人間の多くがそうであるように、他人の面子など歯牙にもかけない男だった。彼自身、取るに足らないことで面罵打擲され、屈辱のあまり奥歯を噛みしめることたびたびだったが、しかしその都度、暴君の足下に額を擦りつけることしかできなかった。
だが一方で、信長には大きな恩があることも事実だった。四十近くまで一介の素浪人だった自分を取り立て、いまや堂々たる城持ち大名にしてくれたのは他ならぬ信長なのである。もちろん彼自身に才覚があったからこその立身出世なのだが、才能を認められず惨めな思いをし続けた前半生を思うと、全て自分の実力で勝ち取ったのだと開き直るには彼はあまりに律儀すぎた。
埒のないことだ、と自分の空想を押し殺し、信長に命ぜられたとおり軍備を整える彼のもとに一人の来客があった。茶会や連歌の集いなどで昵懇にしている歌人だった。
歌人は世間話をするような気軽な雰囲気で、しかし容易ならぬ言葉を彼に伝えたのである。曰く、近年朝廷をないがしろにする信長はまさに朝敵ともいうべき存在であり、この者を討てばお慶びになる方も多かろう。更に、事が成った暁には彼に征夷大将軍の位を与えるにやぶさかではない、とのことであった。
千載一遇の好機に気が付いたのは彼一人ではなかったのだ。それだけではなく、彼が常日頃抱え、しかし誰にも気取られぬようしまい込んでいた信長への反感を、公家たちはとうに見透かしていたのだ。
羞恥のあまり頬が熱く灼ける。知られていないと思っていたのは自分ばかりで、周りの人間は皆、彼が隠そうとしていることを知っていたのだ。
そして直後、血の気が引いた。
――ひょっとして、信長も気付いているのではないか?
まさかそれはないだろう。もし彼の不満に気付いていたら、このような不用心な状況に身を晒すわけがない。もし彼がその気になりさえすれば信長の首を獲るのはたやすいことなのだから。
だがまたすぐに思い直す。信長は非常に利口な男だ。その横柄な振る舞いも、他人の心理に鈍いからではない。信長自身の傲慢な性格がそうさせ、なおかつ、相手が自分に抗うだけの胆力がないと侮っているからこそ驕慢に振る舞う。
つまり彼は舐められているのだ。彼に主殺しなどできるわけがないと高を括っているのだ。律儀で有能で、しかし野心に乏しく気の小さい男、そう思われているのだ。
一度は冷えた肝が熱を帯び、はらわたが煮える。彼とて若かりし頃は野心もあれば野望もあった。機会さえあれば、それこそ松永弾正が三好家を乗っ取ったように、乱世に名乗りを上げてやろうともくろんでいたのだ。いつかきっと、天下に我が桔梗の旗を打ち立ててやろうと志していたのだ。
――その“いつか”が今なのではないか?
過去の自分が耳元で囁く。だが彼は聞こえない振りをして歌人に訊いた。もし断ればどうするつもりか、と。
相変わらず澄まし顔で茶を喫している歌人は「ご内密に」と口止めをし、続けて「万が一このことが信長に知られればお互いのためにならない」などと言ってのけた。陰謀に加担しなかったといえども、謀議に加わったという事実は信長の猜疑心を刺激するに違いない、そう歌人は他人事のように言って笑う。
長年公家社会との折衝を続けてきた彼にはその微笑みの意味がよく解っていた。つまり、断れば故意にこの話を信長に漏らすぞ、という脅しなのだ。彼らにとっても危険極まりない行為だが、しかし巻き添えを食うのも覚悟しろという無言の圧力なのだ。
こざかしい真似をするものだ、彼は苦々しい思いで歌人を見つめる。ならばいっそのこと、この場で歌人を引っ捕らえて信長に差し出すのはどうだろうか。そしてかくかくしかじかと事の次第を話し、しかし自分は彼らの甘言に耳を貸さず、あくまでも忠実な部下であるということを表明するのが得策ではなかろうか。
おそらく信長は彼を許すだろう。そして彼の忠誠を褒め称え、しかし腹では小馬鹿にするに違いない。絶好の機会を目の前にして、しかし犬が獲物をくわえて戻ってくるような生真面目さ。それが彼の器なのだと嗤うだろう。よく戻ってきたと褒めてやれば満足か? 頭を撫でてやろうか日向守?
結局彼は歌人を捕縛することもなく、しかしきっぱり拒絶することもしなかった。そんな彼を見て何を思うのか、歌人は辞去することなく、彼の居城へ留まった。
眠れぬ一夜を過ごした彼は、翌日城から国境を越えてすぐの愛宕山に出掛け、愛宕権現に戦勝祈願をした。何のための祈願か、誰と闘うつもりなのか、自分でもよく判らないままに神籤を引いた。最初に引いた神籤は凶兆を示していた。続いてもう一度引いたがそれも芳しいものではなかった。更に何度か引いて、そのうちには吉兆を示す神籤もあったのだが、だからといって彼の心を決める手助けにはならなかった。
その日、彼は丹波亀山の居城には戻らず、そのまま愛宕山に留まった。明日、山陽遠征に向け、この地で戦勝祈願の連歌会が催される手はずになっていたからだ。
影が斜めに倒れる頃になって例の歌人が顔を見せた。そろそろ返事を聞かせて欲しい、とのことだった。だが彼は常になくぶっきらぼうな口調で歌人を追い払うと、しばらく誰も通すなと近侍の者に言い置いて、宿所にあてがわれた一室で独りひたすら思いに沈んでいた。
丹波亀山にある三万の兵をもってすれば本能寺の急襲は間違いなく成功するだろう。信長の周りにいるのは三十人ばかりの小姓と、あとは女か茶坊主ばかり。丈夫な石垣も広い水壕もない、洛中の一寺院である本能寺を揉み潰すのなど造作もないことだ。
信長が弑されたと聞けば織田家の重臣たちは仇を討とうとするだろう。だが揃いも揃って各地に遠征中であり、軍を率いて戻ってくるには日数がかかるはずだ。それまでに畿内の要所を固め、各地で頑強な抵抗を続ける反信長勢力と連携体制を取れば、逆に織田家臣団を挟み撃ちにすることができる。
唯一の懸念といえば“主殺し”の汚名を被ることだが、それすらも征夷大将軍の肩書きの前にはかすんで見えるだろう。そもそも鎌倉の源頼朝も、室町の足利尊氏も時の天子に弓を引いた逆賊のようなものだ。安徳帝は壇ノ浦に沈み、後醍醐帝は吉野の山に追われた。ならば彼が信長を弑したとしても、やはり同じように歴史が彼を許すだろう。
野心は決して失われない、ただ堆積する日々の下に埋もれるだけなのだということを彼は実感する。掘り出してみれば彼の野心は埋み火のごとく熱を放ち、胸に灯りをともすのだ。日本中の武士を束ねる征夷大将軍に就任し、新たな幕府を創設する、それは青年時代の彼ですら思い描いたことのない、目も眩むような栄光であった。
あらゆる要素が彼を唆していた。あらゆる要素が彼を後押ししていた。軍事的状況、政治的状況、蘇った彼の野心、長年にわたる信長への反感、それら全てが天秤の片側に積み上げられ、しかしそれでいてどういうわけか、天秤は危うい均衡を保ったままでいまだ傾こうとしない。
何故だろうか、彼自身が不思議で仕方がなかった。信長に対する義理立てだろうか。そう思って彼は自己を観照するが、もはや後ろめたさのようなものが微塵もないことに気付く。やるということになってしまえば、彼はもう躊躇しないだろう。誰かがやれと言ってくれたなら、彼は何の拘泥もなく国境を越え、桂川を渡り、知らず知らずのうちに描き出していた本能寺急襲計画を着実に実行するだろう。
――なのに何故決められぬ?
俯き加減の鼻の頭から汗が一滴落ちた。初夏の候、閉めきった一室は汗に濡れるような蒸し暑さだった。加えて午を過ぎてから、空に雲がかかり始めた。この湿気、明日は雨だろう。
彼は織田家に身を寄せてからの十五年を思い返していた。あっという間の十五年だが、しかしずいぶん遠い十五年前。粉骨砕身し、積み重ねてきた十五年。丹念に丹念に、慎重に慎重に積み上げてきた十五年は、今や堅牢な石垣となり、揺らぐことなど思いも寄らない。彼が過ごした十五年はずしりと肩に重く、しかし重いからこそ彼の支えともなっている。
黄昏の愛宕山。四周から湧き起こる蝉しぐれが彼の脳髄を浸食し、心を掻き乱す。金属的な音調が耳の奥で反響し、果たして蝉は梢の中か、はたまた彼の頭蓋のうちか判じ難い。
と、いきなり蝉の声がやんだ。
不意に音を失った世界はまるで静止したかのような錯覚を与え、彼の息づかいも停止する。
静謐がじりじりと音を発てる。みるみるこめかみが青黒く浮き上がる。心臓が肋骨の内側で暴れ回る。喉仏が潰れ、視界に銀の砂が降る。
まだ蝉は唱わない。だから呼吸もままならない。
だがついに限界に達し、緊張が、静寂が、均衡が破れる。
喉から呼気が溢れ出す。それは自分でもぎょっとするような声音を伴っていた。
「うははははははは」
停止した精神に割り込んできたもの、それは意外にも愉悦だった。
この百数十年、日本は乱れ、人々は争い続けてきた。かつて本朝の歴史上、これだけの長期間、国土の至る所で争い続けた時代はなかった。それが今、織田信長という男の手によって終息しようとしている。
ここにくるまでにどれだけの血が流れ、どれだけの田畑が焼かれたことだろうか。様々な人間が様々に積み上げた数多の犠牲のその上に、そう遠くない未来、ついに信長の王国が打ち立てられるはずだった。
それをあっさりと、意味もなく崩す。無頓着に覆す。惜しげもなくぶち壊す。
面白いな、そう思った瞬間にあらゆる懸念が抜け落ちた。
「あはははははは」
信長を恨むからではない。
天下を獲りたいからではない。
面白いからやるのだ。
大それた事だから面白いのだ。
滅茶苦茶だから面白いのだ。
――狂うたな、おれは。
そう理性が囁くほどに、愉悦はいや増しに増す。呆れて眺める視線を感じて、彼の狂性は有頂天になる。
彼は腹を抱えて笑い転げた。目尻が涙に濡れる。体中の毛穴が開き、四方に熱を吐き散らす。爽快だった。かつてないほどの快感だった。
異常な騒ぎを聞きつけた小姓が、普段の躾も忘れて足音高く駆け寄ってきても、まだ彼は笑い続けていた。
「殿、どうなさいました。何事でございますか」
度肝を抜かれたふうの小姓と目が合い、ようやく彼は笑いを収めた。それでもまだ胸の奥が痙攣し、喉の奥がひいひい熱い。
小姓はひどく怯えていたがそれも無理からぬ事だった。彼はこの十数年、一度も哄笑したことがない。彼に笑う機能が備わっているとは誰も想像し得なかったのである。
「いや何でもない、心配するな」
ようやく落ち着きを取り戻した彼は、いつも通りの穏やかな口調で続けた。
「なるほど愛宕には天狗がおるわ」
そう言うと、狐につままれたような表情の小姓に、ひとつ微笑みを向けた。
そしていま、小雨に濡れる老の坂を騎乗の彼が行く。まだ深更、夜明けまで遠い。宵闇の山道を万の兵が音もなく進む。
馬上の彼が思うのは、これからの戦のことでもなければ、その後の政治折衝のことでもない。彼に先立って反逆した松永弾正と荒木摂津守のことだった。
彼らの反逆は如何なるふうだったのだろうか。理由について今更詮索する気はない。それは以前、散々にやった。彼が知りたいのは弾正の背を押した狂気、摂津守の手を引いた魔についてである。
道々彼は考える。
考えて考えて、やはり無駄だと気が付いた。弾正の狂気は弾正にしか解らぬ事だ。摂津守を誘った魔の形は摂津守しか知らぬ事だ。
たとえ狂人同士が話し合ったところで理解が生まれるはずもない。余人の理解を許さない、それが狂気である。理解できないから狂っているのだ。狂人は常に、永遠に孤独なのだ。
思えば信長は若年の頃から狂人呼ばわりをされていた。その性向は今もって変わらない。そんな信長を彼はずっと恐れていた。力があり知恵もあり、しかし常識の通用しない信長は荒神のごとき畏怖を彼に与えるのだった。信長に仕えた十五年はすなわち、恐怖に急き立てられ、息も絶え絶えに駆け抜けた十五年だった。
その恐怖が今はない。彼もまた狂気を宿した身なれば、もはや信長の狂気を恐れるに足らない。
彼が謀反を起こしたと聞いて、人々は何を思うだろうか。野心、意趣返し、なるほどどれももっともらしい。でも違う、しょせん真っ当な連中に解りはしないのだ。いくら理性が窘めようと、狂気の風が吹いた以上、もはや是非はない。あとはやるだけだ。
せせらぎが聞こえる。桂川だ。この川を越えれば本能寺までは一気呵成、渡ってしまえばもう取り返しが付かない。だが彼には気後れも躊躇いもない。
――驚くだろうな、信長は。
そう思うだけで愉快になり、彼は忍び笑いを漏らすのだった。
了