世界で一番早く空を飛んだ人、それが八浜出身の表具師幸吉《ひょうぐし こうきち》
別名を 浮田幸吉、 桜屋幸吉とも言う。
幸吉は【1757年】宝暦7年八浜の長町にあった 『桜屋』 という旅人宿の次男として生まれる。
幸吉が7歳の時、父 瀬兵衛が急死、その為親族の傘屋に預けられ、のちに岡山の
親戚である紙屋に奉公にでた。
幸吉は鳥の飛翔に興味があり、休日などよく蓮昌寺へ行き鳩や雀見つめていたという。
彼は、その鳥を捕らえ、体重や羽の長さまで測った。そして鳩や雀から人間に適した翼を
竹や木を骨にし、紙を貼り、腕にくくり着け屋根から飛んでは失敗していたと言われている。
岡山の密集した町では駄目だと思い八浜に帰り、生家の屋根から南風に乗って飛んだ。
しかしこの飛行はわずか、50bで終わった。 《幸吉28歳。》
幸吉は更に研究を重ね、八浜での失敗から1年。
今度こそ成功する自信を持ち、【1785年】天明5年7月 岡山の京橋から風に乗って飛んだと
言われている。
この出来事により幸吉はとらえられた。『人々を騒がした罪』により一時入獄しその後
岡山をところ払いなった。 やむなく郷里八浜に戻った。 《幸吉30歳》
幸吉は八浜で船員生活を経て静岡県 《駿府国》 へ居を移す。そこで入れ歯師として
生計を立てていた。幸吉は腕前の器用さで入れ歯師として静岡の地で名声を得ていた。
しかし、夢を捨てきれない幸吉は飛行試みここでも所払いになったと言う説がある。
幸吉の最期は静岡県で 弘化4年8月21日 91歳で没した。
幸吉の家系は絶えているが 生家が八浜蓮光院の檀家であったと言う。