正史に見る曹操

ここでいう「正史」とは、ちくま学芸文庫の『正史 三国志』(陳寿 裴松之 注 今鷹真・井波律子 訳)のことです。

「太祖は軽佻浮薄な人がらで威厳がなかった。音楽好きで、芸人を側に侍らせ、いつも日中から夜まで楽しんだ。衣服は軽い絹を用い、身体には小さな皮の袋をぶらさげ、ハンカチやこまごました物を入れていた。時には〔巾合〕帽(簡素なかぶりもの)をかぶって賓客と会見した。人と談論するときは常にからかい半分で話をし、思っていることをまったくかくさなかった。〔宴席で〕上機嫌で大笑いしたときなど、頭を杯や碗の中につっこみ、頭巾はすっかりごちそうで汚れ、びしょびしょになるほどだった。その軽佻さはすべて上の例に類する。」『曹瞞伝』より。(太祖=曹操)

『曹瞞伝』は敵国呉によって伝えられたものなので、ことさらに曹操の悪事やら狡さやらを拾い上げて書かれている。・・・ということですが、「あいまい」を削るあまり人間性の読み取りにくい陳寿の『三国志』よりも生き生きとしたものをイメージしやすいです。なかなか面白いエピソードが多い。

曹操の幼名は阿瞞(あまん)。または吉利(きつり)。瞞は漢字変換(欺瞞)で出てくるように、ひとを騙すとか嘘をつくという意味。阿は(〜ちゃん)くらいな意味なので、日本語のニュアンスに直すと「うそつきちゃん」になるでしょう。これだけでも悪戯好きのやんちゃなチビっ子という感じですね。もっとも、子供が魔物に狙われないようにわざと悪い意味の名前をつける風習があったということです。

ところで、上に引用した青字の記述、カンザキは大ウケしました。ポシェットぶらさげた笑い上戸のふざけたおっさん・・・? しかも大笑いして碗に頭つっこむって、いきおいでかい!!おまへは吉本か(^_^;) と思わずつっこみたくなるではありませんか。
これを読む限りでは、多少、いやかなりふざけてはいるけれど、ひょうきんで気のいいおじさんといった感じです。軽い絹の服、簡素な帽子、ポシェットということから、華美でなく実用性を重視するということも読み取れます。しかし、この文章はこの後こう続きます。

「しかしながら、法律を守ること峻厳で、諸将のうち自分よりすぐれた計画を抱いている者がいると、のちに法によって処刑した。さらに古い怨みのある旧知に対しても、すべて見逃さなかった。彼が処刑する場合、その者に向って涙を流し嘆き悼んだが、あくまでも生かしてやることはなかった」
でた。多分今でも「曹操なんて大嫌い!!」という人の絶えない理由でしょう。
しかしカンザキはそれさえもいとしい。
だってこの屈折ぶりがたまらなくかわいいのよ〜っっ(末期操病患者だもん♪)
とにかくとにかく前述したようにこれは敵国の手によって書かれたものなので、いつもいつも曹操がそうゆうことをやっていたって訳では勿論ございやせん。それどころかその正反対のことだって多々あります。

でもね、やっぱり曹操ってそういうところあるのよ。そういう陰湿こすいところが。
逆に言えば、そういうところが無かったらそれはもう曹操じゃないのよ。
よく「曹操のどこが好きなわけ?あんな陰険で残忍なおっさん」とか「曹操は一流で強くて才能があるからすごいよね」とかってカンザキに言う方がいらっしゃいます。(いや、そうはいないな。その意味を含むこと)
でもカンザキは声を大にして言いたい。
わたしは別に曹操が一流で強いから好きってわけじゃないの。もちろんそれも要素のひとつではあるけどね。むしろわたしは曹操の弱さに惹かれるの。あんなすごい偉業をなしとげた人が、わたしなんかと変わらないようなレベルのことでくよくよしたり、嫉妬にもんもんとしたり、がんばろうって自分を励ましたりするところが好きなの。強いだけの曹操なんてつまらない。そんなの曹操じゃない。
・・・ああすっきりした。








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