曹操と宗教と帝

曹操と仏教の関係は陳舜臣「秘本三国志」を読んで初めて知って驚いた。曹操と宗教というのが何とも結びつかない気がして。

北方謙三「三国志」でも曹操と仏教は密接だし、仏教以外の大平道や五斗米道も併呑後保護したし、宗派を問わず宗教を保護したいかにも宗教嫌いの曹操がと思うと意外で面白い。

「秘本三国志」では曹操が董卓から逃れて洛陽を脱出するとき、仏教の托鉢に紛れて逃げるのよね。ここ「おおっ」って思った。

北方三国志で若い頃「宗教など信じぬぞ!」と言っていた曹操が、仏教徒をスパイとして使い、青州黄巾党と対峙した時にものすごく宗教と信仰について考え抜いて、宗教を受け入れる心構えになる。この心理ドラマは面白かった。(ここまでは小説の話)


「曹操の宗教と思想」より引用
「曹操は、政治家にして武人且つ詩人でもあるが、決して宗教家でもなければ思想家でもない。彼の一連の言動の端々に(中略)宗教や思想に関しては、全くと言って好いほど現れてこない」

曹操が若い頃、祠を壊して民間の宗教を粛清したのは有名だけど、それは貧しい民からお布施を巻き上げる邪教だったからだ。のちに青州黄巾党を併呑して大平道を保護、張魯を降して五斗米道を保護した。

後漢末期、道教はおお流行りだったらしい。宦官が実権を握ったので宦官を人として認めない儒教よりも、道教がもてはやされた。
また、世が乱れたため堅苦しい儒教よりも現世をおおいに楽しもうという道教に民が傾倒した。

曹操は儒教を信奉する清流人でありながら儒教への反逆児。ひとつの考えに傾倒せずある意味節操なく様々な考えを取り入れた自由人なのだ。道教もそのひとつ。
(儒教に反逆といっても、言われているほど意識的なものではないかも、という気はしている。当時一般的に、儒教はかなり建前化していたきらいがある)

曹操の合理・実利主義はほんっとーーーに徹底してて、宗教もそこに組み入れられたに過ぎない。
曹操は思想というものがないので、宗教を弾圧するより保護するほうが実利があると判断したから保護した。儒教も道教も利のあるところを使って無駄なところを棄てる。ただそれだけなのだ。

曹 操のそういう姿勢は「帝」という存在にも容赦がない。帝に対して曹操は一応の義理は通しているが、その実は利用していただけ。ただ曹操自身は「帝なにほど のものぞ」でも、その利用価値は熟知していたから、袁紹や袁術みたいにみだりに別の帝を立てたり簒奪したりはしなかった。

帝に対する曹操の気持ちは複雑で、敬う気持ちはなくても重要だったろうし、それでいて
「帝と言ってもただの人間ではないか」
というイライラもあったのではないかな。曹操は生まれついての身分というものを憎悪していたと思う。その究極が帝だったんじゃないかと……

思うのですがいかがでしょうか。









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