青州兵
印象的なシーンがあります。
それは建安25年(220)、曹操が死んだ日のこと。
魏王崩御の知らせを受けて、行列を組んでいっせいに城門を出て行く一軍がありました。
白い喪服をまとい、軍鼓を打ち鳴らしながら。
行列はえんえんと連なり、いつまでも果てることのないかのように見えました。
そして政府の機関は、なぜか行く先々で彼らに食料を分け与えたのです。
彼ら―青州兵たちは故郷に還り、
そしてひとりの男の歴史が終わりました。
時はさかのぼります。
曹操はまだ30代。割拠する群雄のひとりに過ぎません。
志は大きく切れ者ですが、兵が少ないのが悩みの種です。
でも彼は真剣に考えていました。
この乱世に秩序を取り戻したい、そのために天下を統一したいと。
滑稽なほどに真剣だったのです。
その頃、青州を拠点にして朝廷に抵抗していた巨大な組織がありました。
黄巾党、新興宗教『太平道』により団結した反政府組織です。
青州を併合しようとする曹操軍と彼らは対峙します。屈強な彼らは
抵抗を続け、曹操軍は苦戦しました。
彼らのほとんどは元は農民だったのです。
彼らが反政府組織として武装したのは、政府の腐敗と飢饉のため
明日死ぬかもしれないという状況の中でのギリギリの選択でした。
もちろん、曹操もそのことを知っています。
でも彼は執拗に攻撃を繰り返しました。
ある日、黄巾軍から曹操に一通の手紙が届きました。
「かつてあなたは神壇を破壊して邪宗を禁じられしたが、
それはわれらが祭る神の道と同じです。道をすでにご存じのはずなのに、
今は迷っておられます。漢王朝の命運は尽き、われらの天下がやってきます。
もう体勢は決まっています。いかがいたす所存ですか」
曹操はこれを読むと、なにをいうかと怒りました。
そしてよりいっそう強く黄巾軍に降伏をせまりました。
黄巾軍は降伏を受け入れませんでしたが、たびかさなる追撃と
内部の分裂のため、みるみるうちに瓦解していきました。
彼らは追いつめられ、そうしてついに降伏を願い出たのです。
家族ぐるみで軍門に下った彼らには信仰の自由が保障され、
帰農するための土地と牛が与えられました。
そして選出された精鋭は『青州兵』と名付けられ、曹操軍の主力となったのです。
普段は農民として作物をつくり、戦となると鍬を矛に持ち替えました。
常に曹操と共にあり、しかし彼らは組織として独立していました。
それは奇妙な関わり合いでした。とにかく、他の兵たちとは違っていたのです。
彼らは はみだしものの兵で、しかも最強でした。
これを境に曹操は圧倒的な強さでのしあがっていき、あと少しで天下統一という
ところまでいきました。しかし、とうとうそれは叶いませんでした。
建安25年(220)、天下統一の夢を果たせぬまま、曹操は静かに息をひきとりました。
青州兵たちは行列を組んで故郷に還ります。
誰も彼らをひきとめることはできないのです。
なぜなら、彼らは最強だから。
なぜ彼らは還るのでしょう。
曹操が死んだからといって、国が終るわけではないのに。
その後を継ぐ者がいるというのに。
国も血筋も関係なかったのです。
彼らは曹操個人と結ばれていたのです。
曹操が死んだ今、契約は完了しました。
幾千幾万の鼓の音は響き渡り
ひとりの男と青州兵の歴史の終わりを告げるのです。

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