源平合戦 藤戸古戦場周辺

2014年5月17日

 郷土史研究会(久保豪先生)に初参加させていただき、勉強してきました。
身近なところに隠れた史跡があることを教えていただきました。 またお昼は、
近くの隠れた名店の天乃うどん店(隠れてない名店かも)でお腹を満たし、とて
も充実した時間を過ごすことができました。

天乃うどん店所在地はここ

1.乗り出し岩

2.笹無山

3.浮州岩跡

4.先陣庵

5.藤戸寺

6.藤戸まんじゅう店

7.經ヶ島

9.近隣のお寺巡り

研究会資料

資料−1 へのリンク (寛永元年の天城図、天城池田家当主墓所、天城地域の古寺)
資料−2へのリンク (藤戸寺案内絵図)
資料−3 へのリンク (藤戸周辺絵図)

以下、詳細は資料−1〜3をご確認ください

 はるか昔の源平合戦が行われたころ、このあたり一帯は海で源氏の兵士がこの岩に乗り出し、
種松山に陣をはる平氏の様子を窺ったことから、乗り出し岩と呼ばれるそうです。

 源氏の武将 佐々木盛綱が敵陣(平氏)に攻め込む為、海を渡りたいと思案していた。(何分、源氏は海戦が得意でない為)
地元の漁師から、唯一平氏の陣につながる浅瀬があることを聞き及び先陣をきることになる。 この情報が漏れることを危惧し
た盛綱は、この漁師を切り捨てたそうです。 漁師の母親は、嘆き悲しみ「佐々木憎けりゃ、笹まで憎い」と言って、この山の笹
をなくなるまでむしり取ったそうで、笹が無い山となりこの名称となったとか。 但し、今は笹に覆われています。

 京都の醍醐寺三宝院の庭で有名な藤戸岩は、かつてこの地にあったそうです。 
浮州岩と呼ばれ海中に浮き沈みしていた。 織田信長や豊臣秀吉との関わりが
あり、現在に至っているそうです。 江戸時代に干拓が進み頃、かつて岩が在っ
たところに下の碑が建てられたそうで、碑名は熊沢蕃山の書とのこと。

 佐々木盛細が源氏方の先陣として馬で浅瀬を渡り上陸。 戦後に庵を建てて戦没者等、
の霊を慰めたと伝えられるところ。

 佐々木盛綱が、このお寺の修復を行い藤戸の合戦で亡くなった人々の弔いの
大法要を行なったそうです。 戦国時代には兵火にあい焼失しもしていますが、
江戸時代に再興、が再建されて、今に至っているそうです。

岡山県で古くから続く、有名な饅頭本店。 写真の柱時計は、明治4年から時を刻んで
いるそうです。 ちなみに、米国の○○社製。 社名はメモしてませんでした。 悪しからず。

 海中にあった小島だそうで、写真では見にくいですが頂上に塔が2つあります。
経塚と漁塚あり、佐々木盛綱に浅瀬を教えた「浦の男」の供養に建てられたとい
いうことです。

 天城池田家の菩提寺で寺名、西光山海禅寺。 
明治になり寺領を失い、檀家もないことから規模縮小。 松尾芭蕉の孫弟子
のお墓あり。 寺内のお墓をみると由緒を感じつつ、倒れた墓石などみると、
寂しさを感じました。

 寺名 靜光寺
赤穂浪士討ち入りで有名な家老 大石内蔵助(良雄)の祖母のお墓がありました。 墓石は無く(討ち入りの関係で
墓石が建立されなかった)、事件の影響の大きさがここまで及んでいることを知りました。.

大石内蔵助の祖母の墓

寺名 端光山正覚寺 特記なし

天城の街並みで見かけた、龍吐水。 マニアの人には、垂涎の的ではとの話題に
なりました。