ブックエンド

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 その名を書棚に見つけた瞬間、さあっと血の気がひいていく。のみならず頬が羞恥に燃え、怒りのあまり鬢の毛が逆立った。
 まあ待て、落ち着け、何も驚くべきことじゃない。そう私は自分を納得させる。おかしなことは何もない。何しろ郷土出身の作家なのだ。著書の一、二冊くらい置いてあっても不思議じゃない。
 平日の昼下がり、市民センター内の小さな図書室に人影はまばらだ。私は何食わぬ顔で視線を巡らせる。窓際のソファに初老の男と失業者ふうの中年男。共にスポーツ新聞を広げ、読むともなく紙面を眺めている。他には四十がらみの女が三人ばかり、書架の陰をうろうろと行き来しているのみだ。
 人目を忍ぶようにして書棚から本を抜き出す。『吉崎重吉短編集』、奥付を見れば初版本。当然だ。重版がかかるような作家じゃなかったのだ。その短編集の隣にもう一冊、『五十七番目の奇跡』。つまりこの図書館には吉崎重吉の全著作――たったの二冊だ――が揃っているというわけだ。
 さて、どうしたものか。いや、どうもこうもない。放っておけばいいのだろう。だがそれではこちらの気が収まらない。
 もう一度あたりを盗み見る。受付カウンターの内側に司書が二人。誰もこっちを見ていない。好機であることは疑いない。
 頭の隅では馬鹿馬鹿しいことだと解っている。こんな本を盗んでどうするつもりだ。売ったところでろくに値の付かないしろものだし、ましてや自分で秘蔵し、愛読しようなどという気はさらさらない。
 こそこそと裏表紙を開く。貸し出しカードの記録を見れば、十一年前に一度貸し出しがあったのを最後にもう誰も借りていない。
 喉で小さく笑いが震えた。
 ざまあないな先生、しょせんこんなもんですよ。最後に残されたのはこんなにもちっぽけな本貫地。それならもういいじゃないですか。ここに踏みとどまっていても埒があきませんよ。
 充分に警戒を払い、誰もこちらを見ていないことを確認して、私は手提げ鞄にその二冊を落とした。こいつの処遇は後で考えるとして、とりあえず今は借りたい本を探すとしよう。当節流行の作家でもよし、百年の歳月を経た古典でもよし。流行るものにはそれなりに理由があるのだろうし、生きながらえるにはそれだけの価値があるのだろう。
 つまりですね、吉崎先生。少なくともあなたの作品よりはナンボかましってことですよ。くそったれが。

 吉崎重吉という作家を知ったのは二年前、東京で独り暮らしをしていたときのことだ。発端は郷里の母からの電話で、先日何やら妙な電話があったということだった。
 電話の主は栗山と名乗る男で、声音からして結構年輩の人物とのことだった。その栗山という男は私が不在と知ると、私の生年月日を確認し、それが間違いでないと知るや唐突に、
「息子さんは小説を書いたりしていませんか? あるいは音楽や美術や、そういった創作活動に関心を持っていませんでしたか?」
 などと尋ねてきたそうだ。挙げ句の果てには連絡先を教えてくれなどと言いはじめたために、薄気味悪くなった母は一度電話を切ったのだが、すぐにかけ直してきた栗山は自分の電話番号を私に伝えるように頼んだのである。
 新手のセールスだろうかと不審がる母に曖昧な返事をしながらも、私は内心動揺していた。実は大学在学中からこっそり小説らしきものを書き綴っていたのである。ただしその話は誰にもしたことがなく(小説を書くという行為を変に後ろ暗いもののように思っていたのだ)なぜそれが人に知れたのか皆目見当がつかなかった。
 おそらく詐欺商法の類だろうと母に答えながらも、しかしひどく気になった私は栗山の電話番号を控えておいた。近頃は電話帳に番号を載せない世帯も多い。駄目で元々とNTTにこの番号の住所を問い合わせてみたら、意外にも住所を教えてもらうことができた。東京都立川市、それほど遠くはない。私は休日を利用してその場所を訪れてみることにした。
 そこは立川市郊外の一軒家で、表札にもはっきりと「栗山輝男」と記してあった。少なくとも貸しビルのワンフロア、スチール製のデスクに電話だけという露骨なシチュエーションではなかった。だがそれでも念のため、携帯電話からではなく公衆電話を探して栗山の番号に回線を繋ぐ。
 電話に出た年輩の女性に「栗山さんはご在宅ですか?」などと間抜けな問いを向ける。電話をかけてきた人物が表札の栗山輝男氏だという保証がない以上、そう訊くより仕方がなかった。だが女性はすぐに「主人ですね」と察し、電話を取り次いでくれた。
「お電話替わりました、栗山です」
 予想以上にしわがれた声だった。声だけ聞けば老人といってよい。私がすぐに連絡をしなかったことを詫びると栗山は、「いや、不審に思うのは当然です」と逆に謝り、一度じかに会って話がしたいと言ってきた。少なくともセールスの類ではなさそうだと判断した私は、いま立川まで出向いていることを告げ、駅前の喫茶店で待ち合わせをすることにした。
 三十分ほどして現れた栗山は骸骨に皮をかぶせたといった風情の男で、往々にして病的に痩せた人間がそうであるように、年齢のほどはよく判らない。
 栗山が差し出した名刺に目を遣った瞬間、私の背筋を電流が走る。素っ気ない名刺に印刷された「葦辺書房」の文字。聞いたことのない出版社だが、それでも私の胸はひどく高鳴った。過去三度ばかり雑誌の新人賞に原稿を送りつけていた(結果は惨めなものだったが)私を、奇貨おくべしと拾い上げるつもりではあるまいか。そんな虫の良い期待が芽生えたのである。
「ご用件というのは?」
 平静を装って訊いたつもりだが、おそらくそのときの私はがつがつといやしく手を伸ばす物乞いに似ていたことだろう。
 しかし栗山は私の期待に応えることなく、出し抜けに言った。
「吉崎重吉という小説家を知ってますか?」
 吉崎重吉? 聞いたことがない名前だ。これは何かのテストだろうか。返答次第で私の未来が拓けるのだとしたら、ここで下手なことは言えない。
 躊躇し、答えないでいる私をかばうように、栗山は物腰柔らかに続ける。
「いえ、知らなくても無理はありません。全く無名の作家ですから。それにもう二十何年も前の作家です。ただあなたと同郷の作家ですから、ひょっとして名前くらいはと思いまして」
「はあ、あいにく。で、その人がどうかしましたか?」
 だが栗山はその問いに直接は答えず、以前私の母に尋ねたのと同じことを訊いてきた。生年月日、そして「小説を書いたりしていないか?」と。
 そこで私は生まれて初めて、自分が小説を書いていることを他人に打ち明けた。それがなぜだかひどく重大な秘密のような気がして、自ずと声も小さくなる。なぜこんなに恥ずかしいのだろうか。もし誰かが小説を書いていると知っても私はそれを笑いはしない。なのに自分が同じことを言うと誰かに笑われるのではないかと臆病になる。だから栗山の顔に浮かんだ表情が嘲弄や冷笑ではないことに心底ほっとした。
 そのとき栗山は「そうですか」と少しだけ嬉しそうに微笑んだのである。
「それはそれは」
 どうも作家の卵を青田買いという、私が期待していた展開ではなさそうだ。当然私は落胆したが、しかしそれ以上に栗山の真意をはかりかねて当惑していた。いったい私に何の用なのだ? なぜ生年月日などを訊くのだ? だいたい吉崎重吉ってのは誰なんだ?
 それらの疑問を率直に向けると栗山は恥ずかしそうに笑い、まあ話半分で聞いてくださいよ、と断った上でぽつぽつと語りはじめた。
 二十数年前、吉崎重吉という小説家がいた。文壇の隅っこで余り物をついばんでいるような、当時からほとんど無名な小説家だった。彼はいくつかの短編小説を書き、中編とも長編ともつかない中途半端な長さのものをひとつ残し、二十六歳の若さで自殺した。その死でさえも世間的には何の波紋も生まず、大した話題にもならずに消えていった泡沫のような作家だった。
「私は彼の担当編集者だったんですよ。今はもう潰れてしまった出版社にいた頃の話です」
 そんな話を聞かされても私としては「はあそうですか」としか答えられない。だからそれがどうしたのだ、と。
「吉崎くんが自殺したとき、二通の遺書が残されていました。一通はご両親に宛てたもの、もう一通は担当編集者の私宛てです。その私宛ての遺書というのがですね、おかしな内容のものだったんですよ」
 曰く、自分はすぐに生まれ変わる。一年後の命日、彼の郷里で産声をあげた赤子がいたら、それは自分の生まれ変わりである。その赤ん坊が長じて文学に手を染めるようなら、それは間違いなく自分の生まれ変わりだから、是非とも自分の著作を読ませてやって欲しい。そうすれば、その人物は忘れていた前世の記憶を思い出すに違いない、と。
「当時の吉崎くんはかなり神経がまいっていました。だからこれはただの妄想だと思って私はまともに取り合わなかった。それに無関係の赤ん坊にそんな義務を押しつけるのも気の毒でしょう。第一、生まれ変わりなんてねえ?」
「はあ。で、それが――」
 途中まで言いかけて気が付く。つまりその条件を満たした赤ん坊とは私のことなのだ。だからわざわざこんな話をしているのだ。
 何とも収まりの悪い感覚が私の肌をひと撫でしていく。
「ただの偶然でしょう?」
「もちろん私だって本気で信じてはいませんよ。でも齢をとるとどうでもいいことが気になりましてね」
 そうはぐらかすように言うと栗山は視線を伏せる。後ろ暗いことを隠しているという感じではない。どちらかというと恥ずかしがっているような表情。無理もない。前世がどうの来世がこうのと、ダライ・ラマではあるまいし。女子中学生が言うのならかわいげもあるが、老境に差し掛かった男の吐く台詞ではない。
 しかし笑止なことに私はその話を聞いて、身体の芯からぞわぞわとした昂奮が沸き上がってくるのを止められない。
 ――夭折した小説家の生まれ変わり。
 作家志望の私には実にドラマティックかつロマンティックなエピソードだ。一度たりとして自分の才を証明したこともないのに、自分には才があると頑なに言い聞かせてきた私にとって、ある作家の生まれ変わりという逸話は、あまりにも心許ない潜在能力を保証するのに具合が良かった。
 理性では馬鹿な話だと解っていても、それが自分にとって都合の良い話なら確信もないままに受け容れる。胡散臭い宗教の信者や自己啓発セミナーの会員によく見られる態度だ。自分だけは例外にあるという思い上がり。
 そして実に浅ましいことに、私もまた同じようにしてその与太話を冗談半分に、しかし半分は真顔で受け止めたのだ。

 

(2/2)へ続く

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