ブックエンド

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 栗山に会って以来、私は暇を見つけては古書店を巡り、吉崎重吉の本を探し回るようになった。彼の著書は死後まもなく絶版となり、版元の出版社そのものも平成に入ってすぐに倒産したために、いまや正規の流通ルートでは入手できないのだ。
 吉崎重吉が残した二冊の著書――『吉崎重吉短編集』と『五十七番目の奇跡』――を入手するには困難を極めた。栗山から聞いた話によれば、そもそも吉崎重吉の本は初版の三千部すら売り捌けず、しかも版元自体がなくなってしまった今となっては、現存する数も極めて少ないと見るのが妥当だということだ。しかも不運なことに、担当編集者であった栗山も、所有していたその二冊共々を十年ほど前の火事で焼失してしまっていたのである。
 古書あさりの専門家でもない私にはどこをどう探せばよいのか見当もつかず、せいぜいインターネットのオークションを利用するくらいしか思いつかなかった。だが広いウェブの検索網(まさに網だ)にさえ引っ掛からない。まるでこの世にそんな本など存在しなかったとでもいわんばかりの素っ気なさだった。
 一年近くも探し回り、もういい加減、現物を入手するのを諦めた私は、ついに国会図書館に出向くことにした。国内で刊行された全ての書物を収蔵する国会図書館に行けば間違いはなかろう。せめて読むだけでも読んでおこう。なに、読みさえすればいいのだ。
 吉崎重吉は、自身の生まれ変わりが自著を読めば、かつての記憶を取り戻すと書き遺していた。さすがにそれを信じるほど私もお人好しではないが、しかしそれを読むことによって何かしら小説のネタを思いつくのではないか、などと相変わらず都合の良いことばかりを考えていた。
 私はこの無名作家をとことん利用してやる腹づもりだった。吉崎重吉自身にネームバリューはない。だが彼の生まれ変わりというエピソードは充分に奇妙であり、人々の耳目を惹くはずだった。たとえ私の書いた作品が十人並みのものであったとしても、この風変わりで奇怪なエピソードは、作家志望者の群の中から一歩抜け出す切り札になりえる。初めは色物扱いされても構わない。無視され、陽の目を見ないよりはよっぽどましだ。
 煩瑣な手続きを終え、ようやく辿り着いた二冊の本。まず短編集から読むことにした。
 全部で九つの短編から成るそれは、ひとことでいえば小賢しいしろものだった。斜に構えた姿勢は生意気で、言辞を弄した描写は回りくどい。意外な結末はどれも人を小馬鹿にしたような落ちのつけかたで、著者の性根の悪さが透けて見えるような気がする。
 だがそれはまだましな方だったのだ。もうひとつの『五十七番目の奇跡』ときたら――。
 そのタイトル通り、吉崎重吉は黙々淡々と奇跡的な出来事を書き連ねていく。
《たとえば羊毛や綿花を指でより、糸を綯い、さらにその糸を縦横に編んで布を織るという奇跡》
《たとえば自分の意思を後世に残すため、奇妙な線に意味を持たせ、仲間内でその意味を守り伝えていく文字の奇跡》
《たとえばどうしても解消されない不満や不幸をなだめるため、ここではないどこかを想定する信仰の奇跡》
 こんな具合に奇跡的な事柄を羅列し、それについての簡単な解釈も付随する。その出来事どれもが奇跡と呼ぶに相応しいものばかりではあったが、読み進めていくうちに私はどうにも落ち着かない気分になってくる。すでに奇跡は五十番を数えているというのに、まだページ数は半分に至っていないのだ。
 私はなぜかしらびくびくしながらページをめくる。
 そして迎えた五十七番目の奇跡。
《千年、万年、数億年。途切れることなく続いてきた血脈の果てに私が生まれたというこの奇跡》
 そこからはもう目も当てられない。ぐだぐだめそめそと自分のことを書き連ね、誰も尋ねちゃいないのに独りよがりに自分の半生を語りまくる。ときには自分を飾り立て、ときには自分を責め苛む。だがいずれにせよ、通底しているものは自己顕示欲と自己陶酔だ。美しく彩った自分の肖像に見惚れるかたわら、激しく己を鞭打ち、その疼痛に勃起しているのだ。
 臆面もなく繰り広げられる自己アピール。何の工夫もなく、何の造作もないただのマスターベーション。それが読者の鑑賞に堪えうるものという確信もなく、しかしそうして書かれたものに何の疑問も感じない鈍感さ、思い上がり。
 ここまで嫌悪感を抱いた経験は後にも先にもない。それでも私は吐き気を堪えてページをめくる。ここまで付き合ったからには最後まで読む必要がある。なぜなら最後まで付き合った者だけが激しく罵倒する権利を与えられるからだ。
 忍耐の果てにようやく本を閉じ、深く息をつく。腹の底で熱を帯びた塊が動き出す。少しずつ少しずつ喉を迫り上がり、ついに言葉をともない、転がり落ちる。
 ――誰もお前に興味はない。誰もお前のことなど関心がないのだ。
 ひとつこぼれた言葉が次々と悪罵を誘発する。
 ――お前の書いたものはお前のためだけに書かれたものだ。それはお前自身にしか価値がなく、他の者にはカス同然だ。お前のために書かれたものなら言葉にする必要はない。それはお前一人が抱えていけば良いものだからだ。そうやってお前はいつまでも陰茎を愛撫しつづければいい。射精することなく永遠に愉しむがいい。だが誰もお前の相手などしない。お前は独りで死んでいけ――。
 自分でも信じられないくらいに汚い言葉が脳裏に浮かぶ。グラグラと煮えくり返るはらわたから呪詛と罵声が毒泡となって浮き上がる。単につまらない本を読んだというだけでは説明の付かないこの嫌悪感。
 ああ、確かにそうかもしれない。私は吉崎重吉の生まれ変わりなのだろう。だからこそこんなにも彼が憎く、厭わしい。近親憎悪ですらない。全くこれは自己嫌悪の激しさなのだ。
 忌々しい。全くもって忌々しい。確かにこの本を読み終えた今、私は思い至った。いや、思い出したというのが正しいのか。
 あの奇妙な遺言は神経やみの妄言などではない。初めから奴は狙っていたのだ。自分の非才に失望し、自分の仕事に価値を見出せず、それでも尽きることない自己顕示欲を満たすために、奴は最期の賭けに出たのだ。奴の指定したその日、その場所で偶然生まれた赤ん坊がひょっとして世に名を著す人物――それは小説家でなくても構わないのだ――になるかもしれない。その極めて低い確率に、奴は持ち分全てを賭けたのだ。
 吉崎重吉の描いた青写真が手に取るように読めた。
 成長し、著名人となった赤ん坊はたぶん冗談めかした口振りでこう語るのだろう。
「実は私、吉崎重吉という作家の生まれ変わりなんだそうですよ」
 その言葉によって過去の無名作家、吉崎重吉の著書は埃を払われ、人の手に取られる。その作品は読者に感銘を与えるものではないかもしれない。だが奴にとってそんなことはどうでもいいのだ。自分の存在を他者に知らしめることがあの男の願いなのだから。
 吉崎重吉が故人であることがひどく残念だった。もし奴が生きていたなら、この小癪で卑怯な自己愛者を手ずから縊り殺してやりたかった。だが殺意は行き場を失って、奴を絞め殺すはずの荒縄、奴の臓腑をえぐり出すはずの短剣を持ったまま、私は奴の死について思いを馳せずにはいられない。
 ――なぜ吉崎重吉は生命をなげうち、およそ当たるはずのない万馬券に全てを賭けたのか。
 思い出すまでさほどの時間もかからない。
 私が奴に浴びせた罵声、それはかつて吉崎重吉が自分自身に浴びせかけた罵声だったのだ。あのマムシのような言葉に致死毒を注ぎ込まれて絶望し、それでもまだ自己顕示欲に囚われていたあの男は、自分を殺し、なおかつ生かしておきたかったのだ。
 虫酸が走る。吐き気がする。悪寒に襲われ、指が痺れる。
 不愉快な読書体験というだけでは説明しきれない、あまりにも過剰な反応に、私はふと我に返り蒼褪める。
 吉崎重吉に向かって放たれた毒矢はまっすぐ跳ね返り、私の心臓に突き刺さっていたのだ。とめどなく吐き出された罵詈雑言は循環ルートに乗り、私の全身余すところなく毒を送り込んでいた。それは腐毒であり、ガラスの破片でもあった。血流に乗った小さなナイフが、体中の血管をずたずたに引き裂いていく。
 気付いたときにはもう遅い。
 吉崎重吉を呪う言葉は、すなわち私をも呪う言葉なのだ。吉崎重吉を殺す毒は私をも殺す毒だ。
 当然のことだ。私は彼の生まれ変わりなのだから。
 恥ずかしさのあまり泣きそうになりながら帰宅した私は、原稿を収めたパソコンのフォルダを消去し、続いて自慢げに印刷しておいた原稿を破り捨て、東京都指定のゴミ袋に突っ込んだ。そして時間外にもかかわらず、炭酸カルシウムのゴミ袋を回収所に投げ込んだ。
 それで全部、終わりにしたつもりだった。

 後日、私は立川郊外の栗山の家へ赴いた。自宅療養中の栗山はこれ以上ないというほど痩せこけ、そのうえ肌は鉛のような鈍色に変わっていた。
「そうですか、読みましたか」
 布団の中で、しかし上半身だけは起こした姿勢で栗山は言う。相変わらず、若輩者の私に対しても丁寧な言葉遣いで接する栗山。目が眼窩に落ちている。医師でも坊主でもない私でさえ、はっきりと死相が看て取れた。
 初めて会ったあの日、すでに栗山は病魔に蝕まれていたのだ。そして手術の甲斐もなく、またガン細胞は活動を再開した。もはや手の施しようのない末期患者が、苦痛をともなう抗ガン剤を拒み、最期のときを自宅で迎えたいと希望するのは何もおかしな話ではない。
「読んで何か感じましたか?」
 問われても、私にはとても答えられない。あの悪罵と呪詛に満ちた言葉を病床の栗山にぶつけるのは筋違いだし、あの残酷な言葉は同時に私をも打ちのめし、叩きのめすのである。
 押し黙る私に栗山は無理に答えを求めず、草木のように静かに笑う。栗山はあの男の担当編集者だったのだ。あのいやらしい作品が読者にどのような印象を与えるか、知らないわけではないだろう。
 もうあの男の話などしたくなかった。会話の流れがずれるに任せ、私はどうでもいい話題を繋ぎながら辞去するタイミングを窺っていた。
 三十分ばかり話をした後、あまり長居をするのも、などと言い訳を挟みながら腰を上げる私に栗山が唐突に訊く。
「これからも書き続けますか?」
 覗くような視線だった。
 答えない私に、顎の皺を歪めて笑う栗山。
「書くことがあればきっとあなたは書きますよ」
 やけにきっぱりと栗山は言った。
「一度書くことを覚えた人間はね、またいつか書くものです。理屈抜きにね」
 励ますつもりか、慰めるつもりなのか。
 やはり無言で小首を傾げ、私は苦笑いをもって返答とした。

 車で二十分。海岸にひとけはない。海岸までのドライブの間に腹は決まっていた。先ほど図書室から盗み出した本を取り出す。『吉崎重吉短編集』と『五十七番目の奇跡』。
 初版三千部。そのうち現存するものは何冊くらいだろうか。二十数年も経っているのだ。たぶんそれほど多くは残っていないだろう。だからといって油断できない。現に今日、こうして発見したではないか。
 それにしても盲点だった。世間的には全く無名の作家でも、わずか人口五万人ばかりの田舎町においてはオラがムラの先生なのだ。書棚の端っこくらいは貸し与えてやろうという配慮がなされていても不思議ではない。
 短編集を開き、ページの端にライターで着火する。火傷をしないように本を持つ手をくるくると回し、炎の向きを調節する。ある程度燃え移れば表紙を三角屋根にして砂浜に伏せる。あとは勝手に燃えていけ。
 先日、栗山の奥さんから手紙が来た。とうとう亡くなったそうだ。
 ガン宣告を受け、しかも快復は到底見込めないことを知ったとき、栗山があの奇妙な遺言に興味を惹かれたのも無理はない。頭では生まれ変わりなど馬鹿らしいと思っただろう。それでも栗山は調査会社に依頼し、約束の日時に生まれた赤ん坊を捜し求めた。つまり私と同様、栗山も自分に都合の良いことならば確信もなく受け容れたのだ。
 見つけ出した赤ん坊が、相も変わらず下手くそな小説を書いていると知ったとき、栗山は何を思ったのだろう。私が奴の生まれ変わりだと確信を得ただろうか。死んだ先にまた新たな生があると考えただろうか。それについては何も言わなかったので、いまさら私の知る由ではない。私に判るのは私自身のことだけだ。
 二冊目を手に取り、火をつける。
 決めた。吉崎重吉の著作をこの世から根絶してやる。現存する全ての著作を探し出し、片っ端から焼き捨ててやる。私を後継者に指名したのが運の尽きだ。
 なるほど私は奴の生まれ変わりに違いない。だから奴が自身を憎んだように、私も奴を憎むのだ。奴が自身を殺したように、私も奴を抹殺してやる。これは私個人の復讐であり、なおかつ自分の尻拭いでもある。
 しかしこれから続く狩りの困難に、少し私は気が重いのだ。このちっぽけな海辺の町にさえあの本が何冊か残っている可能性は高い。それを探し出し、狩り尽くす労苦を思うだけで気が遠くなる。市民に開かれた図書館ならまだしも、学校附属の図書館に潜入し、盗み出す良案は今のところ思い浮かばない。
 よしんばこの土地から奴の影を一掃しても、まだ闘いは続く。国会図書館にも奴はいるし、どこか辺鄙な土地の図書館に、何かの間違いのようにして潜伏しているかもしれない。さらにはどこかの物好きがあの厚かましい作品をこっそり所有しているかもしれない。そうなったらもうお手上げだ。
 今日から始まる掃討戦。標的はわずかばかり、泡沫作家・吉崎重吉の敗残兵だ。奴らは反撃の術を一切持たず、私は一方的に殺戮するのみだ。だが生涯を費やしてもついに私は勝利を確信することはないだろう。
 なぜそんなに執念深く生き残るのだ。もはや読者を待つでもなく。
 黒く捲れ上がったページからハードカバーの表紙に炎が伸びる。浜風が灰を巻き上げ、遠くへ散らす。
「クズみてえな本だ」
 思わず洩れた言葉にうつむく。
 奴を刺す言葉は私を切るナイフ。
 今のところ、私には書くものがない。

 

 


あとがき

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