みんなのうた

 


「あの、これ……」
 言いながら学級委員の双葉さんがプリント用紙をおずおずと差し出す。咄嗟に手を伸ばしたぼくだが、首筋をぐいと引っ張られて思い出した。そうだった。ぼくの右腕は骨折し、ギプスに固められ、首から吊り下げられている状態なのだ。
 左手で受け取った藁半紙に印刷されているインクの文字。「グリーングリーン」。ぼくが入院している間に、春の音楽会の課題曲はこれに決まったようだ。
「これが何か?」
「あの、この歌のことだけど……。あまり気にしないでね」
 そう言い残し、双葉さんは逃げるようにその場を離れる。だが独り取り残されたぼくには何のことやらわけがわからない。
 グリーングリーンに何か問題でもあるのだろうか。
 怪訝な思いでプリントに目を落とす。
“ある日パパと二人で語り合ったさ。この世に生きる喜び、そして悲しみのことを――”
 合唱の定番曲だ。さして目新しさもない。
 つらつらと歌詞を追っていく。
“その朝パパは出掛けた、遠い旅路へ。二度と還ってこないと、ラ・ラ・ラ、ぼくにもわかった――”
 ああなるほど、そういうことか。ようやく合点がいく。
 グリーングリーンは別離の歌だ。軽快なメロディのためつい忘れがちだが、その内容は旅立ち、離ればなれになった父を追慕する悲しい歌だ。先日、交通事故で父を失ったばかりのぼくにはつらかろうというわけだ。
 プリントに目を落としていると、するりと水っぱなが垂れる。どうも朝から具合が悪い。慌ててプリントを小脇に挟み、片手でポケットティッシュを取り出し不器用に洟をかんだ。どうやら風邪をひいたようだ。
 しかしそれにしても、わざわざ「気にするな」と忠告するのもずいぶん間の抜けた話だ。そんなことを言われれば余計に気になるし、気にしていなかったものまで気にするようになるだろうに。
 ぼくは半ば呆れながら、七番まである歌詞に目を通す。七番までというと長いような気がするが、大体が単調な繰り返しだ。簡単に憶えられて、簡単に歌える。それ故に子供向けの合唱曲として適切なのだろう。
“――グリーングリーン、青空には小鳥が歌い、グリーングリーン、丘の上には、ラ・ラ、緑が萌える“
 うん、双葉さんはいい子だ。真面目で優しくて、誰にだって親切だ。去年も同じクラスだったから、彼女の優しさ、細やかさが取って付けたものでないことは解っている。
 でもね、そういう人は、ときどきちょっと鬱陶しい。

 ところが放課後、合唱の練習で体育館に集まってみると、やたらとぼくの方をちらちらと盗み見する女の子が多いのに気付く。それだけではなく、お互いに目配せしては小声で囁き合い、そしてこっそりと向けられるいたましげな視線――。
何も双葉さんだけじゃない。みんなそれぞれに憐れみ深く、みんなそれぞれにいい人なのだ。
 だけどそんな優しさは、かえってぼくに身の置き所を失わせる。
 もちろんぼくだって頭では解っている。父親の死は悲しむべきことだろうし、そんな境遇に陥ったクラスメイトを気の毒に思うのは、人として当然のことだろう。
 でも当の本人であるぼく自身が、父の死をさほど痛手と思っていないとなると、話はまた変わってくる。父が死んだからといって、ぼくの何かが失われたような気はしない。だから周囲の真っ当な同情、憐憫を受けるたびに、ぼくは自分の薄情さを思い知り、後ろめたい思いにさいなまれる。とはいえぼくは父を憎んでいたわけではなく、ましてや父の死を願っていたわけでもない。ぼくにとって父は、ただひたすらに疎遠な人物でしかなかったのだ。
 先に練習にきていたクラスが演壇から降り、続いてぼくらのクラスが壇上に進む。ぼくが入院している間に何度か練習したようで、皆、まごまごすることなく雛壇に列を作り、指揮者が台上に上る。先生のピアノに合わせて一斉にお辞儀をし、指揮者が高く掲げたタクトに視線が集中する。それぞれの手には配布された歌詞カード。
 それにしてもグリーングリーンの親子をぼくになぞらえるというのも皮肉な話だ。彼らは実に堅密な関係を築いており、その別離――それが離婚によるものか、はたまた死によってわかたれたものなのか断定できないが――ですら、父から子へ託される遺産として、少年の心に深く根を下ろしているのである。理想的といえばあまりに理想的で、少々暑苦しいくらいに密接な親子関係じゃないか。うちとはまるで事情が違う。
“ある日パパと二人で語り合ったさ。この世に生きる喜び、そして悲しみのことを――”
 歌い出す五年三組。定番の曲なだけに、ぼくもすぐについていけた。歌詞はともかく、曲自体は何度も耳にしているのだ。
“――グリーングリーン、青空には小鳥が歌い、グリーングリーン、丘の上にはラ・ラ、緑が揺れる――”
 そもそもぼくには父親との思い出があまりない。ぼくが四歳のときから去年まで単身赴任を繰り返していたせいか、ぼくは父の顔を憶えるのに苦労した。幼い頃はたまにふらりとやってくる「見知らぬおじさん」に怯えて泣いていたほどだ。
 ある程度年端が行き、長距離電話の向こう側にいるのが自分の父だと理解できるようになっても、やっぱりそれは「よそよそしい誰か」の範疇を出ることはなかった。昨年、ようやくひとつ屋根の下で暮らすようになったものの、ぼくが目覚める前に出勤し、終電で帰宅する父は、相変わらず疎遠な間柄の人間でしかなかった。
“ある朝ぼくは目覚めて、そして知ったさ。この世につらい悲しいことがあるってことを――”
 そんな父が、ある日を境に家にいるようになった。直接訊いたわけではないが、おそらく人員整理の対象にされたのだろう。あんなに会社に振り回された挙げ句、破れた靴下みたいに捨てられたのではさすがに気の毒というよりほかはない。だけどそれだって余所余所しい他人事の感情で、本心をいえば、父がいることによって何だか妙にぎこちない、家の空気にうんざりしていたのである。
“――グリーングリーン、青空には雲が走り、グリーングリーン、丘の上にはラ・ラ、緑が騒ぐ”
 だがいい加減、新しい勤め口を見つけてくれないかと思い始めたある日、唐突にドライブに誘われた。県北の高原までの日帰り旅行だ。
 この小旅行が二人の間に生じた隙間を埋め合わせるために企画されたものだということはすぐに解った。車中、父はぎこちなく「学校は楽しいか」「友達はいるのか」などと、手探りで会話の取り掛かりを見つけようと必死だった。一方ぼくはといえば、その退屈な問いのいちいちに律儀一辺倒で答えていたものだ。
 しかし二人の努力をもってしても会話が弾むことは一向になかった。なぜならぼくらの間でやりとりされたのは、問うて、答えて、また問うて、の繰り返しでしかなかったからだ。
 互いの足下にぶつ切れの言葉が散乱する。
 やがて父は話題に窮し、ぼくは返答に倦み果てた。
 じきに車は緑深い山間地帯に差し掛かる。ぼくは車窓の景色に心を奪われたふうを装い、父に背を向け、助手席の窓に身を乗り出した。こうしていれば、むやみに話しかけられることもないし、沈黙を意識せずに済むからだ。
 それが幸いしたのだろう。
 山間の急な登り坂。片側一車線の道路は幅狭で、大きく右へカーブしていた。その坂道を上から猛スピードで下ってきた四輪駆動車。缶ビール片手の大学生が運転するそれは慣性の法則に抗しきれず、大きくセンターラインをはみ出して、対向車線にいたぼくらの方へ突っ込んだ。
 左の助手席にいたぼくは右腕を骨折し、頭を強く打って数日間、意識がとんだ。右の運転席にいた父は直撃を受けて即死した。自動車の右半分をスクラップにされたくらいだから、おそらくひどい有り様だったのだろう。
 だがそれら全ての成り行きを知ったのは、事故から一週間も経ってからのことだった。ぼくが意識を取り戻したとき、すでに葬儀は終わっており、そして今、ぼくの父は瀬戸物の骨壺に収まって、仏壇の前に置かれている。つまり最後まで、父の存在はぼくにとって他人事だったというわけだ。
 ふと気付けば辺りがざわめきを取り戻していた。知らない間にひとくさり歌い終わっていたようだ。何やら先生が注意している。もっと声を大きく。背筋を伸ばして。
「あと、歌ってない子もいるよ。恥ずかしくてもちゃんと声を出してね」
 言いながら壇上を見渡す先生の視線がぼくを捉えた。ぼくは思わずうつむく。確かにぼくは考え事をしていて、いつしか歌うのを忘れていたのである。それを責めているのかと思いきや、再び視線を上げてみると、今度は先生の方が、ばつの悪そうな表情で視線を逸らす。
 ああなるほど。先生もお人好しの部類なのだ。つらい思いを喚起され、思わず口をつぐんでしまったと、そんなふうに勘違いをしているのだ。
「じゃ、じゃあもう一回いくよ。今度は最後の礼までやるからね」
 言い置いて、そそくさとピアノに戻る先生。
 再び伴奏に合わせて歌い出す五年三組。でももうぼくは合唱などに身が入らない。周りが気を遣えば遣うほど、ぼくは彼我の温度差を意識し、その差がますます自分を責める。実際、ぼくは父の死を知ってからというもの、努めて悲しみを掻き立てようとしたのである。たとえ縁薄い父であっても、肉親の死に動揺することもない自分の薄情さを認めるのが嫌だったのだ。
 でも今は無理だ。父という個人の一生を思えば同情もするし、気の毒だとも思う。だがぼくという個人の身に降りかかった悲劇だとはどうしても思えないのだ。
 うつむき、歌詞カードに目を落とし、この居心地の悪い時間が一刻も早く過ぎ去ることを祈る。しかしずっと下を向いていると、鼻水が垂れて仕方ない。朝からずっとこの調子だが、放課後になってからますますひどくなってきた。
 反射的に鼻水を啜ると、隣の女の子がびくっとした。何かと訝しんだがすぐに悟る。この子はぼくが泣いていると誤解しているのだ。
 洟を啜ることもままならず、ぼくは更に深く顔をうつむけ、鼻水が垂れるに任せた。鼻水が落ちたところの藁半紙が黒く湿った斑点になる。
 のみならず、今、なぜだか睫毛が重くなる。ひどく眼球が熱い。
 ぽろりとこぼれた涙が藁半紙に吸い取られる。いったいこれはどういうわけだろう。悲しくもないのに涙が出るなんて。喉の奥のひりつくような感覚もなく、頬を紅潮させるあの高ぶりもない。ただ機械的に涙が滲み、溢れていく。
 涙に潤んだ視界にもじゃもじゃ頭。雛壇の目の前に立つクラスメイトの髪の毛に、白い粉のようなものが見える。
 判った、これは風邪じゃない。今日、この最悪のタイミングで花粉症になってしまったのだ。きっと、ぼくの前に立っているもじゃもじゃ頭には、これでもかといわんばかりの花粉が付着しているに違いない。
 ともあれ、涙を見られるのはまずい。咄嗟に涙を拭こうとして思い出す。そうだった。ぼくの右手はギプスで拘束され首から吊り下げられているのだ。ならば左手で――。
 いや、それもまずい。ごしごしと瞼をぬぐっているぼくを見て、クラスメイトは何と思うだろうか。絶対に、確実に、父の死を悲しんでいると誤解するに違いない。同情されるのが嫌なわけではない。でも悲しくもないのに悲しんだことにされるのはたまらない。ぼくの感情が追いつく前に、ぼくの振る舞いが誰かによって決められる。そのまま芝居を続ければ、ますます後ろめたくなるに違いない。
 ぼくは昂然と顔を上げ、涙、鼻水垂れ流しのまま、この場を乗り切ることにした。さいわい、生徒はみんな手元の歌詞カードに視線を落とすか、さもなくば正面の指揮者に顔を向けている。涙に濡れたぼくの顔を見られる心配はない。
 喉に逆流する水っぱな、目尻から溢れる涙。とてもじゃないが歌っていられる状況ではなかった。ぼくはもう、鼻で息をすることもままならず、沼の鯉よろしく口をぱくぱくさせるばかりだった。
 七番までのひどく長い歌がようやく終わる。ピアノに合わせ、深々とお辞儀をした隙に、左の袖口で手早く顔をぬぐった。これが練習で良かった。もし本番だったら、居並ぶ観客に、涙と鼻水に濡れたぼくの顔を見られていたことだろう。
 ――何であの子は泣いてるの?
 ――この前お父さんを亡くされたんだって。
 そしてグリーングリーンを口ずさみ、ああそうか、と訳知り顔に頷くのだ。想像するだけでぞっとする。
 次のクラスが体育館に入ってきたので、五年三組の練習はお開きになった。先生に促され、演壇の端からぞろぞろと列をなして下りる。今日は散々な目に遭った。さっさと教室に戻って、荷物を持ったら一目散に帰宅しよう。
 だが廊下に出た途端、ぼくを呼び止めるか細い声。
「……あの」
 そうだった。たった一人の例外がいた。指揮者だけは、ぼくらの方を向き、壇上全てを見渡す立場にいたのだ。
「つらいと思うけど、泣かないで……」
 一瞬、わけもわからず、ぶん殴りそうになった。
 だがまたしても不自由な右手が邪魔をする。そう、ぼくの右手はギプスで固められ、首からぶらりと吊り下げられているのだ。
「――いちいちうるせえんだよ」
 だがそんな憎まれ口ですら、双葉さんは優しくそっと受け止める。無理しなくていいから、とでも言いたげな慈しみに満ちた微笑で、とげとげしいぼくの言葉を迎え入れるのだ。
 瞬間的に沸き上がった激情が行き場を失い、腹に落ちてくすぶり続ける。吐きそうになった。何でこんな目に遭わなきゃならないのだ。
 惨めなんだか、腹立たしいのか、悲しいんだか、悔しいんだか、どうにも整理の付かない様々な感情が渦巻いて、とうとうぼくは泣いてしまった。
 そんなぼくの手を取る双葉さん。包み込むその掌は小さいけれど、暖かい。
「つらいときは何でも話してね」
 小さな声で、しかし照れもせず、ためらいもせずに言い放つ。
「だって私たち友達でしょう?」
 格別親しい間柄でもないのに、どうしてこの子はこんなにも優しくしてくれるのだろう。
 頭がクラクラしてきた。
 今のぼくが欲しいのは、優しい視線や慰めの言葉なんかじゃない。ただただそっとしておいて欲しいだけなのだ。
 でもたぶん無理だろう。ぼくは「不幸」な少年で、そういう人は慰め、励ましてやらなければならないからだ。
 ああ、つくづく双葉さんは良い子だ。真面目で、優しくて、親切な双葉さん。まるで天使のような女の子だ。
 でもね、そういう人は、いつもひどく鬱陶しい。
 きっと、間違ってるのはぼくの方だけど、それでもやっぱり鬱陶しい。

 


 

あとがき

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