お化けの意趣返し

(1/2)

 


 

 何ら疑問を持たれることもなく、自身の死がいじめを苦にした自殺と断定される様を傍観するにつけ、吉沢昭彦は、そうじゃないんだけどなあ、ともどかしい気持ちだった。
 自殺ととられるのは致し方ない。死因は風邪薬の過剰服用。ご丁寧なことに恨みつらみを書き連ねた遺書まであるのだから、誰がどう見ても自殺である。だが昭彦にしてみれば、そうじゃないんだよなあ、というよりほかはない。
 確かに昭彦はクラスメイトの垣内浩太郎を中心としたグループに執拗な嫌がらせを受けていたし、金品を強要され、しばしば暴力も揮われていた。それを苦にしていたことは事実だし、死んでしまいたいと思ったのはたびたびであり、このような事態を惹き起こした遠因はまさに垣内らのいじめにあった。
 しかし、だからといって昭彦は積極的に自身の死を望んだわけではない。死んでしまいたいという思いと死にたいという思いは似ているが微妙に異なるものだ。実のところ、彼は死ぬ気などさらさらなかったのである。
 もし自分が死んだらみんな心を痛めるだろうか――。
 そう何気なく夢想していると興が乗り、勢いに任せて恨み言を縷々と書きつづっているうちに、気の毒な自分、哀れな自分に陶酔してしまった昭彦は、ある素敵な思いつきに心を奪われてしまったのである。
 ――自ら死を選ぶまでに追い詰められていたと知ったら、普段は無関心な両親も同情してくれるだろうし、教師たちも自分たちの至らなさを悔いるだろう。そしてぼくをここまで追い込んだということであいつらは立場を悪くするだろうし、上手くすれば後ろ指を差され、身の置き所を失うことになるのではないか。
 狂言自殺による示威運動。全くもって名案だと思った。自分の命を質に取るのだから、ある意味ハンガーストライキみたいなものだ。「勝手に死ねば?」と言えない立場を逆手にとってやるのだ。「殺すぞ」と脅すのではなく「死ぬぞ」と脅迫するのである。こういう形での復讐なら無力な自分でも可能だし、しかも自分は加害者でなく、徹頭徹尾被害者の立場でいられるのだ。
 ただし首吊りだの飛び降りだのをやってしまうと、取り返しのつかない事態になる可能性が高い。だから昭彦は風邪薬を服用することにした。パートから戻ってくる母の帰宅時間を見越して薬を一瓶空け、ついでに父親の焼酎をがぶ飲みする。机の上には感情的な筆致の遺書をセッティング。
 119番、救急車、搬送されての胃洗浄。危うく一命を取り留めた彼は皆の憐憫を集め、彼を痛めつけた連中は極めて肩身の狭い思いをするだろう――。
 甘かった。
 まさか本当に死んでしまうとは。
 医師、薬剤師の警告は伊達ではない。本当に危険だから警告しているのだ。だが気付いたときには後の祭りだ。
 吉沢昭彦。享年十四歳。彼の死はあくまでも事故だった。

 死者はしばらく霊として地上に留まり、四十九日後に成仏するのだという僧侶の話が嘘か真か知らないが、少なくとも死後しばらくの間、昭彦は幽霊となって後事を見守っていた。
 自分が死んだことを知った当初はひどく慌て、何であんなことをしてしまったのだと悔恨に苛まれたのだが、めそめそ泣き暮らしているうちに、死んだ今となってはもはやどうしようもないのだ、と投げ遣りな気分に落ち着いた。
 遺影の昭彦はやはり陰気な表情で、せめて一枚くらいよい写真を撮っておけばよかったと後悔もあったのだが、葬儀の厳粛な雰囲気はまんざらでもなかった。祭りの主役は彼なのだ。こんなに注目を集めたことはいまだかつてなかった。
 加えて憔悴しきった母、固く表情を強張らせた父を見れば、今更ながら存外に愛されていたのだとの思いが湧き、自尊心をくすぐられる。参列したクラスメイトたちが彼の死を悼んでいるようには見えなかったが、しかし罪悪感と後ろめたさに苛まれている様子で、それなりに昭彦を満足させた。
 遺書まで遺しての自殺である。当然ながら昭彦をいじめた連中は参列を許されていない。それもまた彼の気分を良くさせた。ざまあみろ、いい気味だ。おまえらは一生人殺しとして後ろ指を差されるのだ。だが呪うならこのぼくじゃなく、自身の浅はかさを呪うんだな、クズどもめ。
 実際、なぜ自分がそこまでいじめられるのか、昭彦には理解ができなかった。発端は、教室で大騒ぎをしていた垣内とたまたま視線が合ってしまったというだけのことだったのだ。今から思えば、瞬間的に不機嫌な表情になった垣内に気付き、咄嗟に目を逸らしたのがいけなかった。素知らぬふりをしていればよかったのに下手に反応したために目に付いたのだ。「何か文句あるのか」と詰め寄る垣内に「別に」と答えたのもまずかった。垣内はその素っ気ない返事を侮蔑の言葉と受け取り、よりにもよってこんな冴えない奴に馬鹿にされたと立腹したのである。
 たかだかそれしきのこと――しかも勘違いなのだ――で人を辱め、呵責し、なぶり者にする垣内たちは人間のクズだと思っていた。そのクズどもがこの一件によって、学校や両親から責め立てられていると思うと胸がすっとした。
 当初の予定とは異なり、「自殺」に成功してしまったことは実に残念でならないが、しかし残された人々の様子を見ていればいくぶんか溜飲の下がる思いでもあり、あのままじっと耐え続けているよりはよっぽどましな結末だとも思った。あのままならばつらいのは自分だけだ。しかし自分が死ぬことによって、いじめた連中、見て見ぬ振りをした連中にも生々しい爪痕を残すことができた。払った代償はあまりにも大きいが、しかし報復の一撃は見事に成功したのである。
 荼毘に付され、便器のような質感の骨壺に納められてもまだ、昭彦は幽霊としてこの世に留まっていた。それはそれで結構なことだった。何しろお楽しみはこれからなのだ。彼をいじめた連中が人殺しとして陰口を利かれ、孤立し、ときには罵られて憔悴していく様をまじまじと観察してやろうじゃないか。
 生前はあれほど嫌だった学校に昭彦は嬉々として通うようになった。唯一、彼の机に置かれた花瓶に既視感を覚え、生前、同じような嫌がらせを受けたことを思い出したときだけは不愉快だったが、概して学校は楽しい場所となった。
 昭彦の望みどおり、いじめグループは孤立していた。のみならず、グループの連中同士もお互いを避けていた。少年鑑別所に送られることはなかったものの、事情を知る者にとって彼らは紛れもなく罪人であり、彼らもまたそれを自覚しているだけに針のむしろである。しかしいかんせん、罪を償おうにも許しを乞う相手はすでに亡い。全くの八方塞がりで、常に冷たい視線を浴びている彼らの様子は、昭彦の幼い嗜虐趣味をひどく満足させた。
 だが追撃はそこでぱたりと止まってしまった。連中は距離を置かれ、孤立こそしているが、しかしそれ以上の非難を受けることもなく、黙然と中学生活を送りはじめたのである。周囲の生徒からしてみれば、ここで彼らの悪行をあげつらえば、それを苦にしてまた新たな自殺者が出るのではないかと懸念しており、ましてや自分がその引き金を引く役どころになるのはまっぴら御免なのである。
 ――ちょっと待ってくれよ。
 事態が呑み込めた昭彦は困惑する。
 ということは何か? ぼくはあいつらを教室の隅っこに追いやるためだけに死んだのか? ならあいつらはどうなるの? しばらく居心地の悪い時間を過ごしたあと、高校、大学と進学して、過去を知らない人と普通に付き合いはじめて穏便な人生を過ごすわけ?
 ――ふざけんなっ!
 いじめられ続ける毎日でいつしか萎縮していた昭彦の感情が沸騰する。すでに失われた瞳が瞋恚に燃え、残忍な血潮が四肢を駆け巡り、凝縮された悪意が脳髄を活性化させる。
 許せない。こんな程度じゃ許さない。どうあってもあいつらに、特に垣内、あいつだけは絶対に勘弁してやらない。しおらしい顔をして嵐が過ぎ去るのを待つような、そんな悠長な毎日を送らせてたまるものか。どうしてもあいつを不幸にしてやらねば気が済まない。どんな手を使ってでもあいつを追い詰め、ぼろぼろに疲弊させ、死んだ方がましだと哀願するまで徹底的に痛めつけてやる――。
 はっきりと自分の使命を自覚した。
 ――垣内の人生を滅茶苦茶にしてやる。
 かくいうわけで吉沢昭彦の復讐は、他力的な甘えから脱却し、ようやく自らの手によってなされはじめたのである。

 何とも姑息な手段だとは思う。だがこういうのでも休みなく続けば効果絶大だ。昭彦は自身の体験を振り返ってそう確信している。苦悩や不安というのは激しい一撃よりもむしろ、延々と加えられる重圧によって育まれるものなのだ。またあれがあるんじゃないのか、いつまでこれが続くのか、そういう不吉な予感が神経を苛立たせ、精神を打ちのめす。
 今日は体育の授業で目が離れた隙に、更衣室から拝借してきた女子生徒のスカートを垣内の机に隠しておいた。気付いて垣内がぎょっとする。そこで昭彦はおもむろにスカートを机から引き出して、ふわりと床に落としてやる。
 当然、教室がざわめきたつ。制服をなくしたために上下のジャージを着ている女子生徒は「それ、あたしの?」と怒鳴り、何でそんなことするの、と泣き出した。
 俺じゃない、と必死で抗弁する垣内。わざわざ盗んだスカートをそんな目立つところに隠す方がおかしいだろう、とまともな理屈を述べるのだが、そう自己弁護するつもりだからこそ、あえてそこに入れておいたとも勘繰れる。
 疑惑の視線に晒されて、力無く何度も「俺じゃないんだ」と呟く垣内の隣で、昭彦は腹を抱えて笑っていた。こうやって垣内の孤立を強め、さらには拒否させ、ついには排斥させるのだ。
 その一方で垣内にも自分が憎まれていることを強く意識させることにした。靴がなくなり、定期券を盗まれ、下駄箱にゴミを詰められ、登校早々、自分の机の上に便所のモップが置かれているのを発見すれば、どんなに呑気な人間でも自分が誰かに憎まれ、嫌がらせを受けていると邪推せずにはいられないだろう。
 疑心暗鬼にとらわれた垣内はときに激高して、誰がやったんだと怒鳴り散らし、疑わしい人間に掴みかかったりするのだが、もちろんクラスメイトの仕業ではない。周りにしてみればいい迷惑、とばっちりである。自然と垣内を目障りに思う者が増え、露骨に嫌悪を示す者も出始めた。そうなるとさらに垣内は敵愾心を煽られ、被害妄想を喚起され、また何かあるごとに周囲を疑い、感情的な行動に及ぶという悪循環に陥っていった。
 ――なるほどなるほど確かにそうだ。
 昭彦の唇が冷酷に歪む。
 圧倒的に有利な立場から思う存分弱者を痛めつける、これほど素敵な遊戯はそうあるものじゃない。この楽しさに較べたら道徳心や良心の呵責など何ほどのこともないのだろう。
 主客逆転してようやく昭彦は垣内らの心情を理解した。そして「これは人として間違っているよなあ」と批判したその口で「でもぼくはもう人間じゃないし」とうそぶいては哄笑する。
 もはや亡者の身となれば、昭彦は不老不死であり、怪我や病を恐れもせず、飢えや渇きも感じない。二十四時間眠りもせず、生者に好き勝手に干渉しながら、それでいて生者からは一切干渉されることもない。まさに絶対無敵、天下御免の存在だった。

 垣内浩太郎の受難は学校内に留まらない。店に入れば知らぬうちに自分のポケットに商品が入っている。それに気付くのはいつも最悪のタイミングだ。店員が通りかかった瞬間にぽとりと漫画がこぼれたり、レジで清算を済まそうとしたら、財布の間から値札付きのボールペンが転がり落ちたりする。いくら無実を言い立てても、実際に自分の懐に商品が入っているのだから誰にも信用してもらえない。頑強に否定すれば警察を呼ばれ、おろおろと狼狽した母が迎えに来る。
 ラッシュアワーの電車に乗れば、何もしていないのに痴漢扱いされる。人混みを歩けば前を歩いていた男に、髪を引っ張るなと言いがかりをつけられ殴られる。
 頭が狂いそうだ。いや、もう狂っているのかもしれない。いくら何でもこう立て続けに不幸な偶然が起こるわけがない。となれば自分の精神が変調をきたし、わけもわからずに物を盗み、痴漢をはたらき、衝動的な振る舞いをしていると考える方が理屈にかなっている――。
 自問自答し、見る見るうちにやつれ果てていく垣内を、昭彦は喜悦の表情で眺めていた。勝ち気で闊達で、傲慢ですらあった垣内浩太郎が、今はびくびく不安に震え、学校にも通わなくなってしまっている。
 だがまだ許しはしない。自室に引き籠もっていればそれで穏やかに暮らせるなどとは思わぬことだ。たったひとつの憩いの場すらも奪い取ってやるつもりだった。
 突然テレビの電源が入る。操作していないのにチャンネルが目まぐるしく替わる。窓を閉め切っているのにカーテンが暴れる。誰も触っていないのに机から物が落ち、クローゼットの扉が開閉される――。
 これら一連のありきたりな心霊現象を目撃するに及び、ようやく垣内も真相を把握した。大いに周章狼狽した垣内は、恐怖のあまりがたがたと震え、涕泣して昭彦に許しを乞う。
 誰もいない場所に向かって土下座し、しきりに詫び言を連ねる垣内の姿は滑稽だった。それが必死で大真面目なだけにひどく笑える。背後に立ってげらげら放笑する昭彦の声にも気付かないというのに、いったい誰に向かって謝っているのだ。
 昭彦には許してやる気などさらさらなかった。すでにこれは復讐という目的から離れ、今や純然たる遊戯と化しているのだ。垣内がどれだけ謝罪を重ね、償いを重ねようと知ったことではない。ただ面白いからやっている、それだけだ。
 昭彦の素敵な遊戯は陰湿かつ巧妙に継続された。ちょっかいを出すのはいつも垣内が独りのときだけだった。だからどれだけ垣内が、昭彦の霊に呪われているのだ、と力説しても両親は信じない。それどころかあまりに真剣に言い募る我が息子の精神状態を疑いさえした。
 霊媒師なり祈祷師なりに御祓いを頼んでくれ、そう懇願する息子をなだめすかすようにして、彼の親は精神科医のもとに連れて行った。だがクラスメイトの自殺が心の負担になっているのだとする医師の弁は極めて現実的な回答だったので、垣内の両親は息子の言葉に一切取り合わなくなった。息子がどれだけ激しく昭彦の亡霊を主張しようとも、まあまあ、と幼児をあしらうようになだめ、処方された薬を服むように勧めるのである。
 全く、誰一人として垣内に味方する者はいなかった。誰も彼もが彼を狂人扱いし、彼の言葉を信じようとしない。破れたカーテンや割れたコーヒーカップを指して幽霊がやったのだと言い募っても、両親はそれを証拠と見なさない。それどころかいよいよ息子の具合は深刻だと暗い表情になる。
 そして独りになるとまた怪異が顕れる。泣き喚き、怯え惑った末に疲れ果て、失神するようにして眠りに落ちれば、今度はセットした憶えもないのに目覚まし時計が喚き立て、わずかな安息を阻害する。
 加速度的に疲弊し、頬がこけ目は落ち窪み、自身が亡霊のような姿になった息子を見て、さすがにこれはまずいと判断した両親は彼を病院に入れることにした。
「違うんだ、俺は狂ってないんだ。本当なんだ、昭彦の幽霊がいるんだよっ!」
 もちろん誰も取り合わない。気違いが自身を狂人と理解している試しがない。自分はまともだと思っているから気違いなのだ。
 暴れ回り喚き散らす気の毒な少年を、ほとんど拉致するようにして数名の看護士が連れて行った。見送る母親はさめざめと泣き、父親は無言でうつむき唇を噛みしめる。
 いうまでもなくその背後には、文字通り抱腹絶倒する吉沢昭彦の姿があったのだが、もちろんそれに気付く者など一人としていなかった。

 

(2/2)へ続く

作品倉庫へ戻る

トップページへ戻る