大統領の英断

 

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 政治、経済、学問など各界の有識者が居並ぶ中に、場違いに若い男が一人。その男がいま、甲高い声で弁舌を振るっている。
「――サムライ、ゲイシャ、スモウ、カブキばかりが日本文化ではありません。それらはむしろ古典的な文化で、当の日本人すら馴染みの薄い、ガラスケース越しの文化であるということをまず皆様にご理解いただきたい」
 民間から招聘されたグレッグ・ノートンはどこか誇らしげにそう語る。広告代理店の社員で、一年の半分をトーキョーで過ごしている日本通でもある。だが大統領はこの男の態度物腰にかすかな既視感を覚えている。もちろん初対面のはずなのだが。
「いま現在、日本の生きた文化として世界中に影響を及ぼしているもの、それはオタク・ムーブメントです。とりわけアニメやテレビゲームといった二次元分野において、ジャパニーズ・オタクの影響は甚大です。いや、すでに彼ら無くしてはこのジャンルが成り立たないといっても過言ではありません」
 生理的な嫌悪感を呑み込みつつ大統領はグレッグの言葉を遮った。この若造の声はなぜだか癇に障る。
「さっきから君の言っているotakuとは何かね? つまりマニアみたいなものか?」
「非常に難しい質問です、大統領」
 そしてグレッグ・ノートンは訳知り顔で続ける。オタクもマニアの一種である。だがマニアがひとつないしは特定の趣味に固執するのに対し、オタクは発展性、伸張性に富んだ生き物である。異常なまでに己の嗜好に耽溺する一方で、他のオタクたちと共鳴し新たなターゲットを貪欲に求めていく。
「そこにジャンルの区別はありません。昨日まであるアニメの大ファンだった者が、翌日にはアイドル歌手の熱烈な信奉者になることもあります。だが彼らの中でその二つの愛情は矛盾もしなければ対立もしない。依然アニメも愛し続け、なおかつアイドル歌手をも愛しているのです」
 つまりオタクとは条件ではなく存在なのです、とグレッグは結んだ。
 どうにも要領を得ない話だと大統領は思った。西部劇ファンがやがて拳銃に凝りはじめ、最後には軍事マニアになったりするようなものか。それならマニアもオタクも一緒ではないか。その素朴な疑問をぶつけてみると、グレッグは、だから説明は難しいと申し上げたでしょう、と弁解する。
「現在日本でオタクという言葉は広く普及し、いまやマニアと同じ程度の意味しか持たなくなってきていますが、その場合は戦争オタクや健康オタクというふうな用いられ方をします。しかしひとこと『オタク』と言った場合、それは主にアニメやコミックス、テレビゲームなどの二次元作品をこよなく愛する人々のことを差すのです。もちろん合衆国内で使われるotakuもそれと同じ意味です」
「それなら二次元マニアと言えばいいじゃないか」
 そこが難しいのです――とグレッグは途端に歯切れが悪くなる。その姿を見て、この男はオタク側の人間だと直感した。オタクを単なるマニアとされたくないばかりに、何やらごにゃごにゃと言い連ねているのだ。
 しばらくグレッグは思考を巡らせていた。そして考えがまとまったのか、大統領の表情を読むようにしてゆるゆると語り出す。
「オタクとマニアを分けるキーワード、それは『萌え』の精神です。オタクはモエの精神を刺激するものにはジャンルを問わず反応し、モエに生活を捧げ、モエに殉じるのです」
 あまりにも不審な話だった。
 モエとは何か、大統領は重ねて尋ねる。
「それもまた非常に難しい質問です。萌えとは本来、草木が芽生えるという意味の言葉なのですが、オタクの使うモエは可愛いとか心惹かれるとか魅力的だとかの意味なのです」
「それなら普通にそう言えばいいじゃないか」
 既視感のよぎる問答だ。イライラしてきた。案の定、グレッグは大統領の言葉に承服しない。
「そうではありません。モエの精神はもっと微細かつ広汎なものなのです。モエはあまねく事象に入り込み、あらゆる事象を網羅します――」
 反感がじくじくと染み出してくる。かつてこれに似た経験をしたことがある。大袈裟な言い回し。気取った物腰。つまらないものをことさらに飾り立てる虚栄心。だが何だったか思い出せない。すぐそこまで出かかっているのに。
 大統領は違和感に気を取られ、グレッグの話も上の空だ。
「本来ならみすぼらしいとされるもの、一般的には不快と断ぜられるものの中にさえもモエは宿っているのです。そしてオタクたちがそのモエを見つけ出したとき、欠点はその欠点のゆえにさらにモエを際立たせ、オタクの心を魅惑するのです――」
 思い出した。大統領がまだ一介の学生ロバート・ウィリアムスだった頃、若者の間で精神世界の探求が大流行したことがあった。進歩的であると自認する若者たちはやたらと東洋の文化を有り難がっていたものである。タントラがどうのといっては不自然な呼吸を心掛けたり、ジャパニーズ・ゼンなどといって足を窮屈に組んだりしていたのだ。腐りかけた倒木をワビだのサビだのと言ってもてはやし、それを理解しない彼を未開の野蛮人のように冷笑した連中の眼差しは、澄まし顔でモエの精神を語るこの男にそっくりだった。
「――モエの精神は近代合理主義に囚われた我々には受け入れがたいものに思われます。しかし徐々にではありますが若い世代に浸透し――」
 その「進歩的」な連中はいまどうしている? ドラッグに溺れていなければまだましだ。一時間5ドルやそこらで人生を切り売りしたり、失業者手当てを求めて長蛇の列を作ったりしているんじゃないのか? そしてあのとき「救いがたい俗物」と陰口を利かれ、恥辱に肩を震わせた俺は誰だ? 合衆国大統領ロバート・ウィリアムスだ。世界の覇権を握っている超大国アメリカ合衆国の指導者だ。
「――それらは商業主義の中から生まれたものではなく、モエの精神を有したアマチュアたちが自らの意志で――」
FUUUUUUUUUUUUCKKK!!!
 悲鳴とも怒号ともつかない絶叫が室内に響き渡る。
「世迷い言もたいがいにしろ! 何がモエの精神だ、ごまかすんじゃない! 私が知らんとでも思ったのか、おい! じゃあアレは何だ? hentaiだよ、ジャパニーズ・ヘンタイのことだっ!」
 誰もが押し黙った会議室に大統領の荒い息遣いだけが響く。「話せるパパ」のイメージを目論んで、故意に染めずに放置している大統領の銀髪が乱れに乱れていた。
「――済まない」
 何ということだ、有権者の前で取り乱してしまうとは。わずかな時間で息を整え、蠕動する指はテーブルに押しつける。声が震えないことを祈って大統領は続けた。
「だが聞いてくれ、諸君。私は先日、あるきっかけでジャパニーズ・ヘンタイと呼ばれる画像を目にしてしまったのだ。そこに描かれた光景はあまりにも卑猥で冒涜的だった。私が今まで見たどんな悪夢よりも淫らでむごたらしい光景だったのだ。そしてこのようなものが平然と合衆国の少年少女の目に触れる場所にあるという事実に心底肝を冷やしたのだ。Mr.ノートン――」
 グレッグで結構です、と引きつった声が応える。
「グレッグ。君の語るオタク、モエの精神を有した彼らは鋭敏かつ繊細な美的感覚の持ち主ということだが、その彼らとヘンタイ画像には何か関係があるのか? それともヘンタイ画像の愛好家たちはオタクとは無関係の、ごく一部の異常性愛者なのか?」
 大統領の問いを受けたグレッグは、何度も躊躇する素振りを見せたのちにようやく重い口を開く。
「残念ですが大統領、オタクたちの多くはヘンタイ画像の愛好者であり、ヘンタイ画像を送り出している人間の大半はオタクです」
「おかしいじゃないか。オタクたちはモエの精神でもってアニメやコミックのキャラクターを愛し、崇拝しているのだろう? そんな彼らがなぜキャラクターを辱めるような真似をするのだ?」
 打ち沈んだ表情でグレッグは黙考する。そして悲壮な覚悟を滲ませて答えた。
「オタクといえども聖者ではないのです。魅惑的な女性に出会ったとき男性はこう思うはずです、『彼女とセックスしたい』と。欲望が高じればさらに過激なセックスを求めるでしょう。オタクも同じです。魅惑的なキャラクターに出会えば、モエの精神を刺激されると同時にやはり下心も唆されるのです。たとえるならモエの精神は恋愛感情であり、ヘンタイを求めるのは性欲衝動です。あくまでもプラトニックな立場を貫くモエ原理主義者もいるのですが、それはごくごく少数です」
 大統領は少なからずうろたえた。グレッグの比喩によってモエとヘンタイの関係は理解できたが、根本的なところでずれている。
「つまりアレか? オタクたちはあたかも生身の女を愛するようにアニメやコミックスのキャラクターを愛するのか?」
 今さら何を言っているのだ、とでも言いたげな表情でグレッグは頷く。
「もっとも大半のオタクは普通に恋もしますしセックスもします。ですが急進的な過激派オタクになると、もはや肉体をともなった生身の女性にはエロチシズムを感じなくなります。彼らはまあ、極左ヘンタイとでも言いましょうか。どちらが右か左かは意見の分かれるところですが」
 会議室のあちこちから驚きを孕んだ嘆声が洩れる。文化人類学の教授が独り合点に頷いて、古来よりアニミズム信仰の強かった日本人は物品にも生命が宿ると考える傾向がある、などと賢しらげに解説したが、そんな余所行きの話など聞きたくない。事態は想像以上に深刻なのだ。
 これは単にアメリカだけの問題ではない。地球人類の危機だ。もしオタク・ムーブメントがあまねく浸透し、結果、グレッグのいう極左ヘンタイが蔓延するようなことがあれば、もはや人類という種族は滅亡に瀕するだろう。なぜならアニメのキャラクターは懐妊もしないし出産もしない。数億の精子は子宮に受け止められることなく、クリネックスにくるまれてゴミ箱行きだ。
 大統領はそれほど敬虔なクリスチャンではなかったが、しかし心のどこかで頑なに信じているのである。セックスは子孫繁栄を目的とするものであり、快楽やエロチシズムは子孫繁栄という究極目標に勤しむ男女に与えられたご褒美に過ぎない、と。だから彼は同性愛者を忌み嫌っていた。それに較べれば近親相姦の方が受胎するだけまだましだとさえ思っている。そしてまたここにきて新たなる敵が現れた。極左ヘンタイとその予備軍であるモエの使徒オタクたちの存在である。
 聴聞会を解散した後も大統領の不安は消えなかった。中東情勢に手を焼き、徒党を組む欧州諸国を牽制し、得体の知れない中国をなだめすかす傍ら、大統領は一時たりともオタク文化の脅威を忘れはしなかった。こうしている間にもヘンタイポルノが子供たちを蝕んでいる。この人類の危機に対して自分は何ができるのか、アメリカ合衆国はどう振る舞うべきか。アメリカとは何なのか、合衆国とはいかなる存在なのか――。

 ある晴れた日の午後、大統領は久々の休日を庭の芝刈りに費やしていた。眠気を誘う春の陽射し、うっすらと汗ばんだ額を拭い、見上げた日輪のプリズムに彼は心を奪われる。まばゆい、あまりにもまばゆすぎる。まさに光、一点の曇りもない健やかさ。
 啓示は瞬時に訪れ、一瞬で全てを物語る。
「アメリカ文化とは健全さを表明する精神である」
 たとえ野暮といわれようがアメリカ人は健全であるべきだ。あざといと誹られようがわかりやすさを旨とすべきだ。健康的で明快で曖昧なものを容れない毅然とした態度、それこそがアメリカの精神であり、アメリカの正義とはつまりそういうことなのだ。
 身震いがした。これだと確信した。ロバート・ウィリアムスはついに拠るべき指針を見つけ出したのだ。
 さっそく大統領は彼の手足となる人間を雇い入れ、彼の計画を実行に移した。側近の者は必死で翻意を促したが彼の信念を変えるには至らない。アメリカは健全たれ、そして人類も健全たれ。その確信に突き動かされた大統領はもう迷わない。突き進むのみだ。
 アメリカ全土から厳選したヌードモデル五十人。金髪、赤毛、ブルネット、何でもござれだ。白人、黒人、黄色人種、色とりどりにそろえた美女五十人は皆お揃いのユニフォームを着てにっこり笑う。その名もFifty Stars。アメリカ国民の憧れ、健康的なお色気の代名詞チアリーダー。大きなおっぱいはもちろん全て天然物、シリコンだの食塩水パックだのはノーサンキュー。すくすくと育った美女たちが白い歯をこぼし、たわわに実った乳房、きゅっと上がったお尻を見せつける。これこそ「エロス・オブ・エロス」「ザ・エロス」と呼ぶに相応しい。
 アメリカが誇る健康的なお色気を世界に披露するために、大統領は国防費を流用してポルノサイトを開設したのである。誰にもNOとは言わせない。言った奴は片っ端から左遷した。あの不健康で陰湿なヘンタイポルノを駆逐するには、明るく陽気なエロスパワーが何としても必要なのだ。カビの臭いを一掃するには陽に当て、風に晒す。当たり前の処置だ。自明の理だ。
 サイトのデザインは明るい色を基調とし、フォントも華やいだものを使用。全体的にはしゃいだ雰囲気を演出し、モデルの化粧も控えめだ。売春婦のようであってはならない。クラスの人気者、学園のアイドルをイメージさせるのだ。そして最も肝心な点はサイトの表記に英語の他、日本語も併用することである。日本人が利用しやすい環境を整えねばならない。なぜならオタク・ムーブメントの発信基地、日本を啓蒙せずして勝利は有り得ないからだ。
 現職の大統領がポルノサイトの運営に関与、しかも国家予算を流用していたと知れたらロバート・ウィリアムスの政治生命は一巻の終わりだ。だが彼には信念がある。断固たる決意がある。この一挙によって世界中の少年が健康的なエロチシズムに目覚めてくれるならば彼のキャリアなど安いものだ。破廉恥大統領と笑うなら笑え。地球人類の未来のため自分は捨て石となり、決してそれを悔やむものではない。それが責任ある男の生き様であり、大統領とは人民のために滅私奉公する社会の下僕である。つまり、ロバート・ウィリアムスには「覚悟」があるのだ。
 無料ポルノサイト“Fiftystars.com”は大々的な宣伝、とびきりのモデルを集めたとあって開設一ヶ月の間、非常なアクセス数を記録した。評判もすこぶる良い。大統領の有頂天たるやいかほどのものか。どんなもんだいザマアミロと快哉をあげ、拳を握りしめる大統領。当然だ。あらゆる人種、好みに合わせた美女軍団が愛くるしい笑顔を振りまき、おっぱいを放り出し、お尻を揺らし、股まで開くのだ。男子ならば刮目して見よ、だ。
 だがひと月、またひと月と時が経つにつれアクセス数は減少していき、半年もする頃にはもはや普通のポルノサイトと大差のない数字にまで落ち込んでいったのである。凋落傾向は特に日本からのアクセスに顕著で、最盛期の一割にまで落ち込んでいた。
 ――なぜだ?
 白髪頭をかきむしる大統領、いやサイト管理人の「ピーピング・ボブ」。彼とてむざむざと手をこまねいていたわけではない。急遽人気投票を催し、下位二十人を総入れ替え、さらに若くグラマラスな美女に取り替えもした。だがそれも焼け石に水、一週間ばかりは持ち直すが、しばらくすればさらに落ち込むという悪循環。一定数の客は維持しているが、それは決して大統領の要求にかなうものではなかった。
 ――なぜだ!
 だが誰もその問いに答えてはくれなかった。

 

(3/3)へ続く

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