透過光



   1 ブラウン管


 なにかが微妙に切り換わる音で紗奈(さな)は目覚めた。
 頬にクッションのサラサラした布目を、腕にフローリングの硬さと冷ややかさを感じた。燐粉のような空気を浅く呼吸していた。水を含んだ葉を磨り潰したよ うな、青臭い匂いが少しした。風は、「おまえらなんか知らないよ」という素振りで、網戸から入ってきては部屋の中をゆるやかに旋回し、そこにあるものをす べてちょっとずつ撫でていく。鼻腔がヒンヤリした。

 暗闇を片側だけ照らしていたのは、テレビ画面の光だった。音声は無かったが、映像はくるくると移り変わり、そのたびに微かな気配が空気中に放たれた。そ れは音にならない気配だったけれど、感覚的には音として捉えられた。ブラウン管から放射された薄っぺらな光は、天井や、一緒に眠っていた仲間たちが身体に かけている、ありあわせの毛布や、タオルケットを、カラフルなセロファンのような黄色や赤紫っぽい色で映し出し、無機質なリズムでカチカチと切り換わっ た。

 テレビの前に、じっとうずくまっているシルエットがあった。身体付きからハルトだとわかった。
 紗奈は眠っていたままの姿勢で痛いくらい首を傾げ、ハルトの後姿をじっと見た。ハルトは背中を丸め、膝を抱え、身じろぎひとつせずに、音声の抜け落ちた画面を見詰めていた。

 紗奈は昨夜のことを思い出そうとした。残骸は部屋のあちこちに転がっていた。酒瓶はツルツルと光の粒を反射していたし、パーティー開き(袋が一枚になる ように糊に添って全部開く。みんなで食べるのに取りやすい)にされたスナック菓子の袋からは食べ残しが毛足の長いカーペットやフローリングの床までこぼれ 出していた。それらの品物にはみんなストップモーションをかけられたかのように全体にくまなく微細なノイズが入っていた。紗奈がよく眼を凝らすと、ノイズ の中には赤と緑と青紫が入り交じって蠢いているのが見えてきた。

 ノイズは赤と緑と青紫で構成されていた。

 首がセメントのように重く、自分がいつの間にか呼吸をしていないことに気が付いて、紗奈はハッとすると同時に、漏斗の中に身体が吸い込まれていくような感覚に襲われた。
 次の瞬間、ハルトに声をかけていた。
「ハルト」
「ん」
 ハルトは軽く振り返った。
「眠らないの」
「ん。眠れないんだ」
「それで、テレビを見ていたの。音ないのに、面白い?」
「なんとかなるよ。ごめん。起こしちゃったね」
「ううん。ハルトのせいじゃないよ。ただ勝手に目が覚めただけ。今何時?」
「四時半」
「もうそんな時間か。なんだ、一時間しか寝てないんじゃん。ああ、喉乾いたな。ポカリスエットあったっけ」
「うん。冷蔵庫にあったと思う」

 紗奈は冷蔵庫を開け、ペットボトルを取り出した。ハルトの横に坐り透明な液体をガラスのコップに注ぎ、飲みながら一緒にテレビを見た。国道を自動車が走り去っていく鈍い砂のような音が時折床に響いた。

「こんな時間にやってるのか。外国の映画」
「こんな時間にやってるのはけっこう面白いよ」
「でも音声ないし。字幕だったらちょうどいいのに。ちょっと音していい?」
「吹き替えだからね。寝てるやつらにうるさくないかな?」
「わたしたちのしゃべり声のがよっぽどうるさいかも。ほんのちょっとだけ。でも、もう終りだね」
「うん。そうだ。もう終る」

 音声のないまま、エンディングのテロップが流れていくのを二人で眺めた。
 それでテレビはその夜の放送をすべて終えた。

 それが、紗奈の意識にハルトが入ってきた最初だった。ちょうどその時、紗奈もハルトも知らない場所で、家が一件燃えていた。ユキトは、アパートの部屋の自分のベッドで眠っていた。








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