2 紙パック


「兄と二人暮しなんだ」
 とハルトは言った。
「ふうん。いいわね。お兄さんかっこいい?」
 と紗奈は聞いた。
「うん。かっこいいよ。ぼくに似てる」
 またまたぁ、と言って、紗奈はハルトの髪をクシャクシャにかきまわした。もちろん、手加減はする。ハルトの髪は黒いなあ、と紗奈は思った。色を抜いても 染めてもいないストレートの黒髪が、一本一本がとてもとても細長い針のように、触れた先から脆く崩れ落ちるように揺れた。

 講堂は外壁が一部赤レンガになっていて、嵌め殺しの大きなガラス窓は空を完璧に映していた。映し込まれた雲がゆっくりと流れていた。講堂は小高い丘の斜 面に張り出した場所にある。出入り口の前はちょっとしたコンクリートの広場みたいな空間になっていて、二人はそこにいた。ベンチや手すりの上に、他の学生 たちの姿もちらほら見えた。

「次なに?」
 と紗奈は言った。
「ん?」
「講義」
「ああ、文化人類学」
「ふうん」
「紗奈は?」
「休講」
「また? 先週もだったろ」
「あの先生ふざけてんのよ」
「ふざけてるな」
「暇だわ」
「困ったね」
「まあいいわ。本屋にでも行く」
「うん」
 ハルトは持っていたミルクコーヒーの紙パックをペコ、ペコ、と潰した。

「よかったら、こんどうち遊びに来る?」
 ふいに、ハルトが言った。
 紗奈はハルトの顔を見た。ハルトは視線を手元の紙パックに落としていた。チェックのウールシャツが丸めた背中にすんなりと寄り添い、背骨と肩甲骨のラインをなだらかに浮かび上がらせた。
「いいの?」
「うん。ユキトを紹介するよ」
「ユキトって、お兄さんのことね」
「そうだよ」

 ハルトは立ち上がり、紙パックを思い切り放り投げた。紙パックは緩い放物線を描いて、思いの他ゆっくりと力強く、それでいて優雅に宙を舞い、自動販売機の側面に当たってかつんと跳ね返り、横の屑入れの中にスポッとおさまった。
「お見事」








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