歩出夏門行


雲を行き雨を歩き
九江のうねりを超えてゆかん
臨む観に同じはなく
心に遊行の意を抱けば
また何をか従うを知らん
過ぎ過ぎて我碣石に至り
心は恨み嘆きて東海へ

東のかた碣石(けっせき)に臨み
蒼海を見渡せば
ゆらゆらと波はおだやか
島山は水面にそびえ
樹木は叢り生え
緑なす草は豊かなり
秋風のさっと吹けば
海原に大波は湧立つ
日も月も
その中より出ずるがごとし
星漢は燦爛として
その中より出ずるがごとし
ああ幸いなるかな
歌いて以て志を詠べん

初冬のこの十月
北風は吹きめぐる
冷気に身はひきしまり
霜は真白に地におりる
鶏はあかつきを告げ
かりがねは南へ渡る
つばくろも姿をかくし
熊と羆はいわやに眠る
すきくわも今は収めて
山をなす豊かな実り
はたごやはしつらえを整え
あきうどを待ちうける
ああ幸いなるかな
歌いて以て志を詠べん

ここは異郷ぞ
河北の寒さはきびし
流氷は川面に漂い
舟の通いもままならず
井戸掘る鑿も地に立たず
荒草は深くはびこる
水涸れて流れず
氷は堅く踏めども割れず
人は皆貧しさに心を痛め
おとこだては法を軽んず
心は常に嘆き怨めど
今ここに悲しみはつのる
ああ幸いなるかな
歌いて以て志を詠べん

ふしぎなる亀はいのちながしといえども
いつかはおわる時あり
空にのぼる蛇は霧に乗れど
やがては土灰となる
老いたる馬は厩に伏すも
志は千里に在り
たけきおのこは年老ゆるとも
たけきこころのやむことはなし
長く短き命のさだめは
ただ天のみに在るにあらず
身も心も安らかに養えよ
永き年も得べからん
ああ幸いなるかな
歌いて以て志を詠べん



□□意訳□□


(雲を行き雨を歩き
九江のうねりを超えて行こう
臨む景色に同じものはなく
心に遊行の意思を抱けば
何かに従う必要もない
ながい旅路のはて碣石山に至り
心は恨み嘆いて東海へ)


東の地にて碣石山の山頂より
あおい海を見渡せば
ゆらゆらと波はおだやかだ
島山は水面にそびえ
樹木は生いしげり
緑の草は豊かだな
秋風がさっと吹けば
海原に大波は湧立つ
日も月も
その中から出てくるみたい
銀河はきらめいて
その中から出てくるみたい
ああ幸せだな
この気持ちを歌にするよ

初冬のこの十月
北風は吹きめぐる
冷気に身はひきしまり
霜は真白に地におりる
鶏はあかつきを告げ
かりがねは南へ渡る
つばくろも姿をかくし
熊とひぐまはいわやに眠る
すきくわも今は収めて
山をなす豊かな実り
旅の宿はしたくを整え
商人を待ちうける
ああ幸せだな
この気持ちを歌にするよ

ここは異郷の地
河北の寒さはきびしい
流氷は川面に漂い
舟は進まず
井戸を掘ろうにも地面は凍てついて
荒草が深くはびこっている
水は涸れて流れないし
氷は堅くていくら踏んでも割れやしない
人びとは皆貧しさに心を痛め
任侠は勝手に暴れまわる
心はいつだって嘆き怨むけれど
今この悲しみで胸がはりさけそう
でも幸せだな
この気持ちを歌にするから

ふしぎな亀は長生きするといっても
いつかは終わる時が来る
空にのぼる蛇は霧に乗るといっても
やがては土くれになってしまう
老いた馬は厩で立てなくなっても
その志ははるか万里を駆ける
いさましい男はおいぼれになっても
いさましい心が消えることはない
長くも短くもなる命のさだめは
ただ天だけが決めるものではないのだから
身も心も安らかに養おう
きっと長生きできるさ
ああ幸せだな
この気持ちを歌にするよ



なんか改めていい詩だなあってしみじみ思ったりして。大海原が目の前に広がるようです。内陸育ちの曹操は遠征で初めて海を見てこの詩 を詠みまし た。『ああ幸いなるかな……』で各章くくっているのは、メロディに合わせてのことでしょうが、それによって全てを受け入れる達観した雰囲気が流れているよ うに思えます。
『ふしぎなる亀は……』の章は、自分で自分を元気づけているのですね。当時からこの歌に励まされた人は多かったでしょうね。
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