善哉行・其の二



幸せの少なかった我が過去を思う

賤しい身分に生まれつき 孤独の苦しみに苛まれていたあの頃

やさしい母の愛はすでに遠く 厳しい父の教えを聞いたこともなかった

その孤独の苦しみは まるで引き裂かれるかのよう ひとりぼっちのまま

だからずっと人恋しくて 頼ってもいい そんな存在を待ち望んでいた

それにしても胸に抱いたこのちっぽけな願い いつ叶えられる日が来るのだろう

今なお 貧賤の身にあまんじつつ

かなしみで胸が張り裂けそう 私の涙はまるで雨のように流れる

泣いて 泣いて 悲嘆に暮れれば 活路が見いだせるとでもいうのか

蒼天よ 我が祈りを聞け 父を殺した瑯邪の山を打ち崩せ……!

せめて国に忠誠を尽くしたいと願っていたその時 天子が洛陽に帰還されるという

快哉を叫ぶ人々のなか やがて力なく溜め息をこぼした

この熱い想いをお伝えできないのが切なくて

天子のお力となって功をなし 天下の人々を教化したい

誰が知ろう 我が想いが結ばれぬままにあることを

いつ我が願いは叶うのか 途方もない困難さに またかなしみがこみあげてくる

今 雨が止み 雲の切れ目に小さな青空が見えはじめた

雲間からのぞく陽光は私のことも照らしてくれるだろうか

雨には止む時がある けれど私の心の涙が乾くことはない



今回は書き下しのお手本がなく難解なため意訳のみです。
白文はこちらをご参照下さい。↓
維基文庫,自由的圖書館 善哉行 (曹操)

其の一と其の三は、いずれチャレンジしたいですが今は無理ということで。

意訳ですが、なるべく原文の意味を正確に汲み取るよう努力はしました。
この作品は曹操が四十一歳のころ、献帝を奉戴した当時のものと考えられています。内容もそんな感じですね。

珍しく幼少時の回想がされていたり、詠み手の心の叫びがあまりにもダイレクトにうたわれています。

曹操さま、この詩によると両親に構われない寂しい子供時代を過ごしたようです。少なくとも主観的には「身を引き裂かれる」ほど孤独だった。
しかも子供のころから「生まれつき賤しい」、つまり宦官の孫であることを意識していたようで……。

他ではなかなか知ることのできない、曹操さま(阿瞞くん)の内面の孤独が切々と吐露された大変貴重な作品です。

補足)ラストの「今我將何照於光曜?」は、最初希望の句かと思って読んでいたのですが、実はそうではないのではと思えてきました。
「釋銜不如雨。」に続く否定的な意味の句と読んだほうが正しいかも。
するとラストは

「今、私はまさに陽の光に照らされようとしているだって?
 雨には止む時がある。けれど私の心の憂いは(雨のように)降り止むことがないのだ」

となり、作品全体が憂悶一色のトーンで塗り籠められますね。
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