大会の主旨について

 はじまりは、大会の開催を通してクラブどうしの親睦を図るのが、目的でした。 かつては、岡山みんなで走ろう会、倉敷ランニングクラブ、吉備路走ろう会、児島健康マラソンクラブの岡山、倉敷、総社、児島の四地区が、持ち回りで手作りの大会を開催していました。ですが、各クラブのメンバーの高齢化に伴い、参加者数も大会ボランティアも減少し、開催されなくなりました。
 そこで、クラブ存続のため・新たな交流を作る為につくったのが、100キロマラソンです。おかげ様で、今では10以上の団体と交流が、広がっています。
 では、なぜ100キロにしたのかと言うと、早く走る人も遅い人も景色を楽しみながら走れるからです。そして、ゆっくり走ることでタイムを競うマラソン大会よりも選手とそれを支えるボランティアが一体となって大会を盛り上げる事が出来るからです。


大会の運営について(詳細は、大会要項を見て下さい。)

 県や市町村の開催するマラソン大会ではなく、あくまで一クラブが手作りで開催する大会なので、手厚いサポートは望まず、自力で完走して下さい。リピーターは、それを支持している方達です。申込者には、地図を郵送します。前もって試走するか、地図を持って走れば、間違いないです。梶岡交差点から金甲山、貝殻山の39〜61キロ以外は、自販機もコンビニも公衆トイレも、コース上に多数あります。給水は、自動車で、5キロ毎に選手を追いかけながら行います。先導は、自動車で行います。曲がり角には、矢印(ライン)が引いてあります。(手厚いサポートは出来ませんが、重装備は必要ありません。)金甲山山頂と貝殻山山頂には、エイド、43キロ地点には給水所があります。


大会記録について

 大会記録は、優勝者が、10時間位、最終ランナーが、18時間位でした。(第7回大会)


コースについて

 児島といえば、古事記、日本書紀の最初に登場するあの児島です。現在の児島半島を走りながら、その昔人が住み始め、古くから栄えていた島だった頃に児島の干拓が始まり(旧石器時代〜室町時代)、その干拓が終わるまでの児島(安土桃山時代〜昭和38年)をイメージしながら走るのも楽しみの一つです。大会のコースを走ることが、昔そして今の港をめぐることになります。地元に、郷土史研究家がいて、大会を開催するにあたり、その書物を読めば読むほど、コース上にそれぞれの時代に昔話や伝説が、当時の先人達の偉業が、数多く残っていることがわかりました。


観光地の紹介

 スタート地点の鷲羽山は、日本で最初に瀬戸内海国立公園として国立公園に指定された場所です。残り2キロで、瀬戸大橋の下を潜ります。下津井は、魚の美味しい所です。児島は、ジーンズ発祥の地、倉敷は美観地区が有名です。岡山は、岡山城、後楽園など、紹介するところは、この県南だけでも数多くあります。ぜひ、「晴れの国岡山」へお越し下さい。