確信犯(2/5)

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 二度目の接見でM氏は尋ねた。
「ミチルは元気にしていますか?」
「まだ体調がすぐれないとのことで面会は叶いませんでした。ただ親御さんとは少しお話しすることができました。現在、彼女は療養中で、カウンセラーの指導を受けているそうです」
 ミチルとはM氏が監禁していた少女のことだ。去年の八月、M氏は隣県に住む当時十六歳の女子高校生を車に乗せ、そのまま自宅に連れ帰ったあと、およそ一年間にわたって拘束、監禁していたのである。
「ところで、なぜ被害少女にミチルという名を付けたのですか。名前を訊かなかったのですか?」
 ミチルは少女の本名ではない。M氏が付けた名前である。
「あの娘の本名なら知っていますよ。学生証を見ましたから」
「ではなぜミチルと?」
 なぜって、とM氏は意外なことを訊かれたという表情になる。
「誰だって自分のペットに名前くらい付けるでしょう。ポチとかタマとか。それ以前に何という名で呼ばれていたかなんて私の知ったことではありませんよ」
「ペット、ですか」
「ええ。私に閉じ込められた時点で、彼女はもう誰かの娘でもなければ友人でも恋人でもありません。私のペット、所有物です。正当な理由などなくとも、事実としてそうなったわけです」
 だから新しい名前が必要になったのだとM氏はいう。その口振りがあまりにあっけらかんとしているものだから、私はいまさらながらに問い直した。
「貴方のやったことが犯罪行為だということは解っていますよね」
「もちろんです。さらにいうなら重大な人権侵害です」
「解っていて、それでも、なぜ?」
 M氏の口から本日二度目の「なぜって?」が出た。
「なぜって――。若く美しい女性を占有し、支配したいという欲求は、男性なら誰でも一度くらいは抱くものでしょう」
「そりゃそうかもしれませんがね、しかし思いはするだけで実行はしませんよ」
 私の言葉にM氏は肩を竦める。彫りの深い端整な顔立ちのM氏がそうした仕種をすると、一昔前の映画俳優のようである。
「では私からも訊きますがね。私の抱いた欲求は大なり小なり、誰の胸にも去来し、束の間、妄想をあたためたりするのはお認めになるでしょう。ではなぜそれを実行しないと思いますか?」
 あるいは良心の呵責が足を引っ張り、あるいは法に対する恐れが指を鈍らせるからだろう。だが、とM氏は続ける。
「最大の要因は、条件が整わないからです。拉致の機会、監禁する場所、拘留状態の維持などの現実的な観点に照らして、それが難しいことだと解るから、ほとんどの人間は実行しないのです」
「なるほど」
「普通は諦める。だが私は違いました。最大の懸念である物理的な条件はすでに克服されていましたから、あとはチャンスとモチベーションの問題だけです。上手い具合にその機会が訪れるか。その際、私がそういう気分になるかどうか。今から思えば、すでに何年も前からお膳立ては整っていたのです。ただそういう機会が訪れなかっただけのことです」
 ほとんど人付き合いもなく、独り身を通すM氏の住まいは少女を監禁するのに好都合な状況にあった。その上、若くして親の遺産を継いだために、虜囚の存在を気にしつつ、後ろ髪引かれる思いで毎朝会社へ出勤する必要もないのである。
「そこへ無分別な小鳥が飛び込んできた。私としては多少の奸計を用いたあと、そっと鳥籠の掛け金を下ろすだけで良かったのです」
 全く悪びれることもなく語るM氏に、気が咎めはしなかったのか、と私は期待もせずにただ訊いた。
 案の定、M氏は否定した。
「いいえ。咎めるなんてとんでもない」
 だって昔からいうじゃないですか、また皮肉に頬を歪めてM氏は続ける。
「天の与うるを取らざるは、かえってその咎を受く――とね。先生、何も私は、無関係の行きずりの少女を拉致監禁したわけじゃない。彼女と私には“縁”があったのです」
「うかがいましょうか」
「きっかけはあくまでも偶然です。その後の成り行きから、彼女は私に囚われる羽目になったのですが、いま思い返しても、やはりあれは“縁”だったのではないかと思われて仕方ないのです」
 M氏の語るところによれば、昨年の八月四日、気分の鬱々としてすぐれなかった彼は深夜のドライブに出かけたところ、彼女を拾ったのだという。
「後から知ったのですが、彼女は柄の悪い連中と付き合いのある、いわゆる不良少女という奴でして、トラブルの末に無理矢理――彼らの言葉を借りれば“拉致られた”そうです」
 私が聞き回った限りにおいても、被害少女の風評は芳しいものではなかった。特に高校に入ってからは素行が乱れる一方で、朝帰りもたびたびだったと近所の主婦は話していた。
「もっともそのときの私はそんなこと知りもしません。夜道に突然飛び出してきて、助けを求める少女を車に乗せたのは純然たる善意からです。ただ車中、ひっきりなしに鳴る携帯電話に応えもせず、こちらから質問してもろくに返事もしない様子から、何か訳ありだとは察しがつきました。私も面倒事に巻き込まれるのはごめんですからね、早いところ車から降ろしてしまおうと思ったのですが」
 言葉を切ると、M氏は呆れ返ったように肩を竦める。
「彼女は私にカネを無心しはじめたのです。私だって電車賃くらいはくれてやるつもりでしたが、彼女の口振りがずいぶん横柄で、なおかつ電車賃にしてはいささか金額が大きいものでしたから、私も少々気分を害しましてね、彼女の頼みを断ったのです。そうしたら彼女、何て言ったと思います?」
「さあ」
「カネをくれないのなら警察に行って、無理矢理車に乗せられて乱暴されたと訴えてやる、とまあこう言うわけです」
「そりゃ厄介ですね」
 実際彼女が警察に訴え出るかどうかはともかく、その脅し文句がずいぶんと効果的であることは容易に想像できる。M氏は独身で勤めもしていない人間だが、普通この年齢の男性なら家庭や勤務先があり、この手の噂をばらまかれたらいささか面倒なことになるだろう。怖じ気づいて金銭を出したとしても不思議はない。
「正直なところ私は驚きました。若くて可愛くて、しかしこれといって取り柄のなさそうな女の子が平然と脅迫行為に及ぶ。ちょっと信じられないことです。だから彼女に何かしらの後ろ盾があるに違いないと思いました。いわゆる美人局という奴だと思ったのです」
「誰かに相談しようとは思わなかったのですか。警察とか、心当たりの弁護士とかに」
 M氏には父の代から懇意にしている弁護士がいる。今回の裁判に関してもその弁護士が任に当たるのが適しているのだが、M氏自身がそれを望まなかったのだ。
 思いましたよ、とM氏。
「ですがすぐに思い直しました。気に入らなかったのですよ、あの娘の態度がね。先生、私はね、何が嫌いといって図々しい人間ほど嫌いなものはないんですよ。他者が当然のごとく自分の言うなりになると考えるその思考回路に虫酸が走るんです。ましてや無能非力な人間が身の程知らずに振る舞うのはなおさらに腹立たしい」
 おとなげないと思われるでしょうが私は我慢がならなかったのです、とM氏は言う。
「いうままに強請られるのは論外ですし、弁護士に相談して平穏裡に解決するのも何だか癪です。何かこちらの腹が癒えるような方法はないものかと思ったときに、不意に例の妄想が差し込んできたのです」
「例の?」
「若く美しい女性を占有したいという妄想ですよ」
 そこでM氏は少女に売春を持ちかけたのだそうだ。曰く、一晩相手をするなら十万円を払う、と。
「その時点ですでに私は計画的に動きはじめました。会話の端々に、自分は金銭的に余裕のある人間だと匂わせ、たびたびこういう行為に及んでいる素振りをしました。彼女が美人局ならば私は絶好のカモと映るでしょうし、単なるアマチュア売春婦だとしても美味しい客だと認識できるようにね」
 少女にしてみても、売春(援助交際などと呼び慣わしているが私娼行為にほかならない)自体、物珍しい行為ではなかったようだ。彼女がそれに手を染めていたかどうかはともかくとして、少なくとも彼女の日常において奇異な出来事ではなかったようである。十万円という金額は彼女にとって魅力的であり、なおかつ現実味のある金額でもあったのだろう。案外あっさりと了承し、M氏の屋敷までついてきたのだそうだ。
「後から判ったのですが、彼女は知人に借金がありましてね。トラブルというのはそれが原因だったそうです。だから私の提案に飛びついたようですが、こちらにしてみれば上手い具合に運んだものですよ」
 トントン拍子ですね、と茶化して言う私にM氏も、全くです、と笑う。
「ただひとつの懸念として、携帯電話の存在がありました。その時点では彼女が美人局の片棒を担いでいると思っていたものですから、何としてでも共謀者と連絡を取らないようにしなければならなかったのです。だからまず彼女にシャワーを浴びるように言い、風呂場まで連れて行ったあと、裸を見せてくれと言ったのです。いかにもスケベオヤジが品定めをするような口振りでね。で、彼女が浴室に入ったあと、脱衣所からこっそり携帯電話を盗み取ったわけです」
「ばれなかったのですか?」
 もちろんばれましたよ、とM氏。
「風呂から上がったあとの彼女は、携帯電話をどこにやったのだと、それはもうひどい剣幕でした。ですがあまりに着信がうるさいから電源を切らせてもらったといって返したらひとまずは納得しました。私が恐れていたのは、私の目を盗んで連絡を取ることでしたから、とりあえずは目的を果たしたわけです」
 あとはもうこっちのものです、とM氏。
「食事の際に出したワインのグラスに私が常用している睡眠薬を砕いて落とし、効き目があらわれるのを待ちました。最悪の場合、強行手段を執るつもりでしたが、赤ワインの色に紛れてしまって彼女は気付きもせず、三杯も飲んだあたりでうたた寝を始めました。そこでぐったりした彼女を来客用の寝室に運び、手足をガムテープで縛り上げたというわけです」
 拉致当夜の状況を語り終えたM氏はさすがに喋り疲れたのだろう、椅子の背もたれに身体を預け、深く大きく息をついた。
 そろそろ接見を切り上げる頃合いだった。私は弁護士としての習性から、M氏との会話の中で、彼の有利に繋がる材料を検討していたがすぐに馬鹿馬鹿しくなって止めた。私たちは被告人と弁護人というお互いの役割をさっさと片付けさえすればいい。私が彼の長話に付き合ったのは、単に弁護人の義務であり、そして若干の好奇心からだった。
 好奇心――。
「なぜ彼女にミチルと名付けたのですか?」
 その問いは今回の接見で最初に尋ね、しかし話が長引くままに結局、聞きそびれていたものであった。
「メーテルリンクの『青い鳥』ですよ。あれに出てくる幼い兄妹チルチル、ミチルから採ったのです」
 幸せの青い鳥を求め、幻想の国を遍歴する幼い兄妹チルチルとミチルの物語――。
「なるほど、『青い鳥』からですか。それはまたずいぶんと皮肉な名前ですね。物語のミチルは数々の冒険を経て、無事に我が家に戻ることができましたが、彼女は貴方に囚われることでミチルになったわけですか」
 さらに私は意地悪な台詞を続ける。
「どうせなら“グレーテル”にすれば良かったのに。そちらの方がずっと相応しい」
 私の言葉にM氏は少し考えた様子であったが、ああなるほど、と頷くと、
「たしかに彼女にとって私は、お菓子の家に棲む魔女のようなものでしょう。ですが私にとっての彼女は妹であり娘――つまり家族であり、なおかつ幸福を呼ぶ青い鳥だったのです」
「幸福だったのですか?」
 私の問いにM氏は力強く頷き、
「まぎれもなくね」
 きっぱりと、ためらうことなくそう答えた。
 ところで新免さん、とM氏。
「『青い鳥』の結末を憶えていますか?」
 逆に訊かれて戸惑う。古い記憶をまさぐってみたが、細部はほとんど憶えていない。たしか散々探し回ったあと、実は家で飼っていた小鳥こそが青い鳥だったという落ちだったはずだが。
「そうです。しかし物語の最後で、その青い鳥も逃げてしまうのです。つまり幸せはいつまでも繋ぎ止められるものではないという教訓ですね」
 だからこそ、とM氏は断言した。
「我々は厳重に、鳥籠の掛け金を下ろしておく必要があるのです」
 そして彼は一年間にわたってそれを実行し、最後には自ら鳥籠を開放したのである。

(3/5)へ続く
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