確信犯(3/5)

(2/5)へ戻る


「少し痩せたようですね」
 三度目の接見でまず気付いたことはそれだった。もともと長身痩躯で、中年太りとは縁遠いM氏ではあったが、それを差し引いてもさすがに拘留生活の疲れがあるのだろう、目が落ち窪み、心なしか頬もこけているように見えた。
 食事が口に合わないのだ、とM氏は答える。
「ただメシだから文句は言えませんがね。ところでミチルは今、どうしています?」
 M氏がミチルと呼ぶ少女は現在、母親と共に転居し、年度が替わるのを待って定時制の学校に通う予定だった。忌まわしき(そして多分に淫らな想像を掻き立てる)犯罪の被害者と知られることなく再スタートを切ろうと準備中なのである。
「お答えできませんね、職務上」
「職務ね――。これは軽率でした。あなたは私の弁護人である前に法律の側の人間なのですから、お答えできないのも当然ですな。出所後、私が彼女に付きまとうとも限らない」
「そういうことです。他にお訊きになりたいことはありますか? 職責の範囲を出ない限りならお話ししますよ」
 そうですねぇ、とM氏は他人事みたいな口調で尋ねた。
「世間では、今回の事件をどんなふうに捉えていますか?」
 M氏は自身の起こした事件について、どのような報道がなされているか、かなりの関心を持っているようだった。前回の接見、別れ際に何か欲しい物はあるかと尋ねたら、事件を報じる新聞や雑誌を差し入れてほしいと言ってきたくらいである。
「どんなふうと言われましてもね。そりゃ逮捕当時はそれなりに騒がれもしましたが、すぐに他の話題に目移りした様子ですよ。いまどき若い女が口車に乗って、のこのこ出掛けた挙げ句に監禁されたなんてよくある話ですからね」
 事実この数年、似たような犯罪が頻発している。その遠因として、安易に、手軽に見知らぬ誰かと接点を持てるようになったことが挙げられる。それ故に危険に出くわす確率も増え、それを未然に防ぐことも難しくなっている。技術の進歩や通信サービスの発展に、利用者のモラルや警戒心が追いつけていないのだ。
 いわば我々は道具を手に入れたばかりのサルだ。その道具の向こう側に得体の知れないサルがいる可能性を考慮しない者は易々と罠にはまる。だから私はこの類の事件に関して、被害者の肩を100%持つ気にはなれないし、ミチルと呼ばれた少女に対してもひどく冷めた気持ちしか抱けない。見ず知らずの人間の家に付いていくような思慮の浅い人間は、遅かれ早かれトラブルに巻き込まれるに違いないし、そもそも何の計画もないままに他人を脅してカネをせしめようなどいう、少女の安直な思考回路は理解に苦しむものがある。
「私の知っている限りでも今年で八件、同様の事件が発覚しました。監禁が半年以上に及んだものも三件。うち死亡者が出たのも一件あります。それらのなかにあって貴方の事件は比較的穏健で、さほど人の耳目を惹くような猟奇性もありませんから忘れられるのも早いのでしょう」
 何の気ない口調で私は答えたのだが、案に相違して、M氏の表情は厳しいものに変化していた。
 心外だな、とM氏は言った。
「何か気に入らないのですか」
「私の罪状は何ですか?」
 M氏の態度に戸惑いつつも、私はその質問に律儀に答える。未成年者略取、監禁、暴行、脅迫などなど――。
 なるほどね、と言ったきり、しばしM氏は沈思する。何か行き違いがあったのだろうか。罪状に事実と異なるものが含まれているのか。
「ひょっとして、取り調べで自白を強要されたとか?」
「いえ、違います。たしかに私は、いま挙げられた行為の全てを犯しました。しかしこれは気に入らないな」
「何が気に入らないと?」
「これではまるで――」
 そこまで言うと、M氏は口をつぐんでしまった。
 それまで能弁であっただけに、M氏の沈黙は気味の悪いものだった。
 何がM氏の気分を害したのだろう。彼の事件が早々に忘れ去られようとしていることに腹を立てたのだろうか。犯罪者の中には、刑罰を逃れることよりも、悪の英雄たらんと欲する者もいる。M氏もその手の目立ちたがり屋なのだろうか。
「どうしたのですか?」
 無精ひげの伸びた顎を何度も撫でさすりつつ、M氏は何やら考え込んでいた様子だったが唐突に言った。
「先生。今日はもうこのあたりでご遠慮願えますか」
 M氏の方から接見を切り上げるのはこれが初めてのことだった。私は戸惑いつつも腰を上げる。用がないと言われればそれまでだ。私にしたって好きこのんで受けた仕事ではない。弁護士会に所属している以上、仕方なく果たさねばならない義務がある。
 今回の仕事はまさしく義務で受けたものだった。だが実際にM氏と会ってからというもの、若干の関心があることも否めない。
 ――彼はなぜ少女を監禁したのか。
 それは男なら誰もが育む、悪辣な夢であるとM氏は言った。
 ――ならなぜ実行しないのか。
 それは単に条件が整わないからだとM氏は言う。
 ――なら一度は叶った夢をなぜ自ら放棄したのか。しかも身の破滅と引き替えに。
 その質問に、M氏はまだ答えていない。

「――『少女飼育、プチセレブの異常な愛情』、『独身貴族、淫欲の館』、『隠れ家リゾート発、調教日誌』。――まだ続けますか?」
「いや結構」
 事件発覚当初、ゴシップ週刊誌の表紙を飾った見出しを読み上げる私に、呆れ返った表情のM氏は手を振る。
「それにしてもひどいセンスだ。悪趣味にもほどがある」
「まああちらも商売ですからね。人目を惹いてナンボですし、それが若い女がらみとなれば、エロ・グロ路線に走るのはよくあることです」
 とはいうものの、と私は続ける。
「この一週間後に事態は変わる。他の話題に誌面を奪われたんですよ。事故後、入院していた貴方は御存知ないでしょうが、同様の事件が発覚したのです」
 東京都内のマンションで女性二人を監禁していた二十四才の男が逮捕されたのである。
「被害女性のうち一人は死亡。もう一人も逃走を企てた際に重傷を負いました」
「死亡――。男に殺されたのですか?」
 広義にはそうだろう。だが直接には病死ということになる。
「風邪をこじらせて肺炎になったのです。もともと栄養状態が悪かったために、体力が低下していたのでしょうね。だが男はそれでも医者に診せなかった。市販の風邪薬と栄養剤を与えて様子を見るうちに症状が悪化し、死んでしまったそうです」
 つまり殺人罪ではなく、保護責任者遺棄致死罪に問われる。
「その様子を見たもう一人の女は、このままでは自分も死んでしまうと思い、やけくそになったんでしょうね。男の隙を見て、マンション六階の窓から飛び降りて大怪我をしました。それで事件が発覚したのです」
「馬鹿な連中だ」
「ともかくこの事件によって、貴方の事件は脇に追いやられた格好になりました。あちらの場合、死人が出た上に、同時に二人の女性を監禁というのも異例です。加えて容疑者の男は若くてなかなかの美男子でしたから、特に女性週刊誌などは面白おかしく書き散らしたようです」
 なるほどね、とM氏は憮然とした態度で視線を外す。一件無関心を装っているが気に懸かっているのは明らかだ。その証拠に、こちらがしばらく黙っていると、やがてそわそわしだして、ついには自ら話を向けてきた。
「つまり、この卑劣な男は私と同種――。少なくとも世間ではそう見ているわけですね」
「そうですね。死人こそ出ましたが、罪状も似たり寄ったりです」
 そこなんですよ、とM氏。急に身を乗り出してきた。
「そこが気に入らないんですよ、私は」
 たしか前回の接見の際にもそんなことを言っていた。何が気に入らないというのか。
「私とそいつが同じ?」
 かなり強い口調だった。瞳にも、不満と憤りが色濃く現れている。
「冗談じゃない」
 そう吐き捨てるように言った途端、M氏は口角泡を飛ばすという表現そのままに、怒濤のごとく言い募る。
「たしかに私は少女を監禁し、自由を奪い、ときには暴力も振るいました。ですがそんな連中と一緒にされるのは心外だ。その男だけではありません。類似の事件の犯人と私の間には、決定的な違いがあるのです。一緒にされては迷惑だ」
「違いがあるのですか? それはどんな?」
 突然の豹変振りに少なからず驚いたものの、私はそれを上回る好奇心と、多分にサディスティックな感情から、M氏に言葉を続ける。
「まさか“愛”があった、なんて言うんじゃないでしょうね」
 愛しているから独り占めしたかった、愛しているから放したくなかった、愛しているから理解してもらいたかった、愛しているから殴った――。全く、うんざりするような台詞である。
 もしM氏が「愛」という免罪符を振りかざすつもりなら、私は彼に一切の興味を失っていただろう。だがさすがにM氏はそこまで恥知らずな男ではなかった。
「ペットを可愛がるという点において、私はミチルを愛していましたよ。ですがミチルとの生活において、私の原動力となり得たものは、愛などという独り善がりの感情ではありません」
「では何が?」
「飼い主としての責任です」
 そうM氏は断言した。
「言うまでもないことですが、ミチルは決して私のペットになりたいと望んだわけではありません。それは他の被害者にしても同じでしょう。全ては飼い主の勝手な理屈に端を発しているのです」
 口振りこそ理性的な口調に戻っていたが、瞳の奥にはまだ昂奮が燻っている。どうやらM氏の深奥に触れたようだ。
「たまたま見かけた可愛い子猫、ペットショップで見初めた愛らしい子犬。彼らが他人の手に飼育されることを望んでいるわけはなく、あくまでも飼い主が望んだからペットとされるのです。ならば飼い主の方にこそ、快適な生活環境を整える義務があるのです。それができない者は飼い主としての資格などなく、ましてや飽きたから捨てただの、面倒になったから殺処分などというのは論外です」
 M氏の弁に納得しそうになって、ふと気を取り直す。そしてしばらく考えて、ああなるほどと得心する。
 こういう人物を指して「確信犯」というのだ。とかく確信犯という言葉は、悪いことだと解っていてあえてやる者、というふうに誤解されているが、本来の意味は少し違う。本来確信犯とは、誤った認識に基づいて行動する者のことを指す。それが間違っていること、悪いことだとは思っていない。認識そのものが間違っているのであり、そのことに気付いていないから、本当の確信犯は、自分が正しいことをしていると信じているのである。
「つまり貴方にあって彼らにないのは、飼い主としての誠意、そういうことですか」
 そうです、とM氏。
「私がミチルに対してどれだけ献身的に接していたか。それを知れば誰だって、私とあんな奴らを一緒くたにはできないでしょう」
「まさかとは思いますが、それを理由に情状酌量を期待しているわけではないですよね」
 冗談混じりに私が言うと、しかしM氏はくすりとも笑わず、あくまでも厳しい顔つきで答える。
「どのような判決が出ようと構いません。どのような刑にも服するつもりです。ですが、私はそいつらとは違うのです。そこだけははっきりさせておかねばなりません」
 これは名誉の問題だ、そうM氏は言葉を結んだ。
 次の言葉を待ったが、もはやM氏は自ら語ろうとはしなかった。沈黙に飽きた私は椅子の上で尻の位置を直し、背筋を伸ばす。何も弁護人が依頼者と同調せねばならない義理はない。そもそも、こと弁護士という職分において、私はとうから匙を投げている。この男がどう裁かれようと私の知ったことではないのだ。
 しかし――。
「ではうかがいましょうか」
 面白くなってきた。今度は私が身を乗り出す番だ。
「貴方と彼女の一年間。そして貴方自身が幕引きをしたその理由を」

(4/5)へ続く
作品倉庫へ戻る
トップページへ戻る