確信犯(4/5)

(3/5)へ戻る


 M氏にミチルと名付けられた少女が、警察の手によって救出されたのは今年の八月二十四日。M氏の供述通り、屋敷の二階、客室のベッドに鎖で繋がれた少女が発見された。しかし一年余の監禁生活にもかかわらず、栄養状態は良好で外傷も見られなかった。監禁されていた部屋の様子も衛生的で、室内には漫画や小説、テレビゲームなど、退屈しのぎの品々の他、家庭用のエクササイズマシーンまで置いてあったという。そのことに話を向けるとM氏は、当然ですよ、と頷く。
「飼い主が家畜に負う、最も大きな義務はその生命を保護することです。鶏や豚といった食用家畜や、牛馬のような労働家畜は、イコール飼い主の財産ですから、その財産を守るのは当然なのですが、ミチルの場合はまた具合が異なります」
 愛玩動物なのだ、とM氏は言った。
「たとえば小鳥など、飼っていたところで現実的な利益は何もありません。ですがその声の美しさ、姿形の愛らしさに惹かれ、昔から人間は何の役にも立たない小鳥を大切に飼ってきたのです。ミチルも同じです。私は彼女を愛玩動物として飼うことに決めた。彼女に要求することは、まず私に従順であること、そして愛らしく、私を楽しませる存在であることです。そのために私は努力を惜しみませんし、彼女の世話をするのは当然の義務でしょう」
「先ほどから貴方は義務という言葉をよく使いますが、なぜ好きこのんでこんな厄介事を背負い込んだのですかね」
 実際、理解しかねるところがあった。M氏はそれまで自由気ままに暮らしてきた男だ。そんな彼が少女との共棲を望んだ。しかも単なる同棲ではない。監禁である。囚人から一切の自由を奪うということは、つまり囚人が必要とするものの一切を彼が用立ててやらねばならないということである。
「調べによれば、彼女の食事や入浴、身の回りの世話など、全部貴方がしていたようですね」
 ええ、とM氏。
「ミチルが日々の暮らしに慣れてからは、ある程度のことは自分でさせましたがね。最初の頃はずいぶん手が掛かりましたよ。用便の後には尻を拭いてやっていたくらいです」
 まるで介護士だ。呆れる私にM氏はどこか自慢げに続けた。
「それだけじゃありません。ミチルは単なる家畜ではなく愛玩動物なのです。ただ育てば良い、ただ生きていれば良いというわけではない。彼女は美しくなければ価値がないのです。だから脛や腋などのむだ毛処理もしなければなりませんでしたし、不格好にならないように散髪もしました。入浴後には必ず肌に乳液を擦り込み、乾燥する季節には化粧水で膜を張りました」
「何とも手間のかかることで」
「実際、ずいぶんと手間をかけましたよ。彼女と暮らすようになってからというもの、私の生活は一変しました。一日の大半を彼女の世話に明け暮れ、私の自由になる時間なんてこれっぽっちもなくなりました。深酒も止めました。気晴らしに旅行もできません。私の留守中、彼女の身に何があるか判りませんし、目を離せば逃亡を企てる恐れもあります」
 寝ても覚めても彼女のことばかりです、とM氏は続ける。
「ミチルと暮らすまで私は気付いていなかったのです。誰かを支配するということは、つまり相手の存在に私も束縛されるということなのですよ」
 それに引き替え拘置所の職員というのはぞんざいなもんですね、とM氏は皮肉る。
「ともあれ、私は良き飼い主たらんと努力はしたわけです。彼女の健康、生命の維持だけに留まらず、知能の低下を防ぎ、向上を促進せねばなりません。彼女は愛玩動物なのですから、私を楽しませるに足る能力を維持し続ける必要があるのです」
 自ら語るように、M氏は少女の教育に熱心だったようである。毎日必ず読書の時間を設け、音楽や映画を鑑賞させていた。のみならず地理と歴史の教科書を買い与え、それぞれ一時間ずつの個人教授を施していたという。
「理数系の授業はしなかったのですか?」
 冗談半分に尋ねてみたら案外真顔で、必要ありません、との返事。
「理とはことわり、つまり縦糸によって繋がれる過去と未来です。しかし家畜に未来はありません、知る必要がないのです。一方、文とはあや、横糸によって織りなす模様、現在の景色を認識する感性です。これは誰であろうと養うべきセンスです。これがない者はひどく退屈な生き物に成り果てる。食事をして、排泄して、眠るだけの繰り返しです」
 M氏の語るミチルの「時間割」は読書が二時間、地理と歴史が一時間ずつ。体育と称してエクササイズマシーンで汗を流す時間が約一時間。
「あとは自由時間です。教育とは知識の詰め込みに終始するものではありません。授業を終えたあと、たった一人で、学んだ知識を咀嚼し、理解して初めて養分となり得るのですから」
 そして毎晩、夜十時になるとM氏はミチルの部屋を訪れる。その日学んだ事柄、考えたこと、テレビや新聞で見聞きした世間の様子を俎上にして小一時間の対話。
「下らないことでも構わないのですよ。芸能人の色恋沙汰や、テレビのコマーシャルで見た新商品のことなどでも、それが話題になるのです。彼女がその事例をどう把握したか、どのような切り口で論じるか、そこに関心があったのです」
 その後も、M氏は訊きもしないのにいろいろと個人授業の様子を事細かに話してくれた。私は渋々ながらも、彼がミチルと呼ばれた少女にとって、決して悪くない教師であったことを認めざるを得なかった。根気強く本人の理解を促し、時間の余裕を充分に与えるその教育方針は、定期試験や進学試験といったタイムリミットを想定していないだけに、生徒の実となり養分となるであろうことは想像に難くない。
「成果に向かって一直線に進む教育は知能の発達を促すでしょうが、しかし知性の涵養を助するものではありません。私は優秀な受験生を育成したいのではなく、話し相手を育てたかっただけなのです」
 M氏の独り勝手な自慢話を聞き流しながら、私は二十年も前の高校時代、古文の授業の一風景を思い出していた。のちに紫の上と呼ばれることになる少女を引き取った光源氏は、彼女を理想の女性として教育し、いずれは自分の妻とする計画を立てる。
(美少女の成長過程をつぶさに観察し、全くの箱入り娘として他者の介入を排除し、自分好みに仕立て上げたあと、自分の妻として迎える―――。これは男性にとって究極の夢ともいえる行為です)
 学生時代にどこかの文学賞を受賞した経歴のある、変わり者と評判の国語教師が揮う熱弁に、男子生徒は苦笑いし、女子生徒は嫌悪感をあらわにしていたものだ。
(だからこそ、それを裏切られた光源氏の絶望は大きいのです。単に妻が浮気をしたというだけのことでは済まされない)
 当時、すでに四十を過ぎてまだ独身だったあの教師には、同性愛者ではないかという噂があった。だが人は必ずしも誰かを伴侶に迎え、人生を分かち合わねばならないわけではない。むしろ静寂を愛し、内省を友とする者にとって、他者は余計な邪魔者にすらなる。
 おそらくM氏もその類の人間だったはずだ。経済的に恵まれ、男振りも立派で、態度振る舞いも如才ないM氏が、祖父や父の関係者から再々に縁談を申し込まれたであろうことは想像に難くない。だがこの齢まで未婚を通しているからには、本人に積極的な結婚の意志がなかったと見るのが妥当だろう。
 それでいてM氏は、たった一人の完成された(ただし完璧とはいえない)日常を自ら放棄した。それも自己に多大な犠牲と危険を強いる反社会的な方法によって、だ。
「貴方は最初の接見の際に、被害少女と過ごした一年間は幸福だったと言いましたね。本当にそうですか? それだけのリスクと労力を背負いながら、それでも貴方は幸福だったと、そう言いきれるのですか。私から見れば、危険と面倒事を抱えてずいぶん煩わしかったのではないかと思うのですが」
 率直な感想だった。私ならそんな厄介事はごめんだ。
「あなたもそう思われますか」
 M氏は言った。
「私もしばしばそう思いました。何でこんな面倒なことをしでかしたのだろうか、と。ミチルと暮らしてしばらくの間は、心底そう思いました。彼女が生活に順応し、多少なりともコミュニケーションが円滑にとれるようになってですら、時折そう思いました。でもね、いまさら引き返せないと思ったのです」
 そうだろう。監禁生活に倦み、彼女を解放すれば、彼女は警察に駆け込むに違いない。それは身の破滅に直結する。引き返すことなどできるはずがない、そう私が答えるとM氏は、そういう意味ではないのだと言った。
「独りきりに慣れていた人間が他者の存在に気付いたとき、もはや“独り”は常態ではないのです。足りない自分に気付いたら、それを当たり前とは見なせない」
 孤独の発見です、と結ぶM氏。
 少なからず疲労を覚えていた私は、その言葉をしおに四度目の接見を切り上げた。
 帰りの車中、私は何度も声に出さず呟いた。籍を置く弁護士事務所に戻り、上司に報告を済ませ、書類を作成する間も、ずっとその言葉が頭を廻る。事務所を出て、片道一時間かけて独り暮らしのアパートに戻る間も私の気分は晴れなかった。帰宅し、シャワーを浴び、安物のウイスキーの力を借りて眠気が訪れるまでの間も、その言葉が虫歯のように私を苛立たせる。
 ――孤独の発見。
 何といやな言葉だろうか。

(5/5)へ続く
作品倉庫へ戻る
トップページへ戻る