確信犯(5/5)

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「公判期日も近付いてきましたし、これが最後になると思います」
 五度目の接見の冒頭、私は言った。
 そもそも被告が争う姿勢のない案件で、五回も接見をおこなうこと自体異例なのだ。出張費用を請求するたびに「そんなに熱心なようには見えなかったがね」と、上司からは嫌味とも皮肉ともとれる言葉をかけられたものだ。
「何度もご足労いただいて恐縮です」
 M氏は礼儀としてそう言ったのだろうが私自身、こう何度も拘置所に足を運ぶとは思っていなかった。だいたい争う箇所などないのだ。被告は自らの罪を完全に認め、量刑の軽減も望まず、法の命じるままに唯々諾々と刑に服するつもりなのだから、本音をいえば弁護の必要すらない。
「それにしても、いまさら我々の間で話し合うことなどないと思うのですが、どうしてまたお越しになったのですか?」
 当然の疑問である。
「それなんですがね」
 私はしばし躊躇したが、
「実に言いにくい話なんですが、本日こちらに伺ったのは、ただ私個人の疑問を晴らしたいがためです」
「疑問?」
 美しい女を占有したいという願いは、男にとって極めて普通のものだとするM氏の論旨は納得がいく。ほとんどの男がそれをやらないのは、単に機会と手段に恵まれていないからだという彼の意見も、いささか乱暴に過ぎるが理解できなくもない。
 だが――。
「どうして貴方は少女を解放したのですか?」
 交通事故で重傷を負ったM氏は、自ら携帯電話で119番に救命要請をしたその一方、110番にも通報し、彼の屋敷に監禁されている少女の身柄保護を要請したのである。
「貴方だって予想していたでしょう。少女が保護されればどうなるか。少し考えればそれくらい誰だってわかるはずです。なのに、なぜでしょう?」
「なぜって――」
 過去四度の接見で何度か目にしてきた、M氏の当惑した表情。
「なぜって、先生。あなたこそ少し考えればわかるでしょうに」
「わかりますよ、自殺行為だということくらいは」
 私の言葉にM氏は失望の色を隠さなかった。
「私はそういうことを言ってるのではないのですよ」
 今まで何を聞いていたのだと言わんばかりの落胆した表情。テスト直前になって、ひと月も前に教えたはずの基礎数式を尋ねてくる、出来の悪い生徒を見るような目だ。
「想像してみてください。私は事故に遭って重傷を負った。怪我の具合からみても二、三日で退院できるような状態ではなかったのです。なら、どうなると思いますか?」
 私が黙っているとM氏はしびれを切らしたように、
「ミチルは繋がれていたのですよ。手の届く範囲に食料や飲料水は何もないのです。そんな状況で何週間も放置されたらどうなるか――わかるでしょう?」
 言われるまで気付きもしなかったその事実に、半ば私は呆然とする。
「――死ぬでしょうね」
「間違いなくね」
 いまさらながらの明白な事実。私は自分の馬鹿さ加減に頭を抱えそうになった。今までM氏は何度も言っていたではないか。自分には飼い主としての責任がある。家畜を保護する義務がある、と。
「私はより良い飼い主たらんとしていたのです。たとえそれが自分の不利益になると解っていても、飼い主として果たさねばならない責務があるのです。たとえば馬小屋が炎に包まれ、到底自分の手で馬たちを避難させられないと判ったとき、良き飼い主なら馬小屋の柵を開放し、馬の生命を守ることを選ぶはずです。たとえ自分の財産を失うことになってもね」
 これは名誉の問題です、そう言い放つM氏の言葉に既視感を覚える。そうだ。かつてM氏は、他の少女監禁者たちと自分が一緒にされるのは我慢がならないと言っていた。
 彼の言葉は真実だった。彼は本当の意味で、彼らとは違っていたのである。
 自分の身よりも少女の生命を優先させた――。この事実は判決を下すにあたって大いに考慮される事柄だろう。しかもこの案件は先年から導入された裁判員制度の対象になっている。M氏の決断は「良識ある」「善良な」市民たちの心に訴えかけるには充分すぎる行為である。
「――もし、貴方の真意を法廷で陳述したなら、きっと量刑は軽減されるでしょう。貴方はそれをお望みですか?」
 M氏の答えは一言だった。
「お好きなように」

 自分の身と引き替えに少女の安全を図った――。公判直前になって弁護士としての職分に立ち返った私は、法廷でこの事実を披瀝することに決めた。
 むろん嫌疑の全てをM氏が認めているのだから無罪にはなりようがない。だがこの事実を強調すればM氏の刑期を短縮することは充分に可能だった。近頃は厳罰化を望む声が多いが、当の犯罪者が示した自己犠牲的振る舞いはきっと裁判員たちの心を動かすに違いなく、この手の犯罪でお定まりの「身勝手極まりない」「自己中心的な」犯行といった印象を軽減することもできる。
 だがM氏自身が全てを台無しにした。
 ほぼ争うこともなく公判は進み、最後に裁判員の一人がM氏に訊いた。
「無事に刑期を終えたあと、あなたはその後の人生をどのように送るつもりですか?」
 たとえばボランティア活動に勤しむ。あるいは慈善的事業に投資する。もっと消極的に、自分を見つめ直すという口実で社会と接点を持たないという選択も可だ。
 だが、さほど考える素振りも見せずM氏は答えた。
「また似たようなことをやるでしょうね」
 空気が凍りつく。傍聴人、報道関係者、裁判員、さらにはプロフェッショナルである裁判官までが、M氏の発言に呆気にとられた。ただ一人、私だけが静かにM氏の言葉を待った。
「それは、つまり、あなたは――」
 虚を突かれ、言葉を探しあぐねている様子の裁判員は、しかし自分の役割を思い出し、気丈にも話を続けた。
「あなたは今回の件から何も反省しなかったということですか?」
 反省? 何を?
 M氏は全て「解って」やっていたのだ。そしてそれは徹頭徹尾、彼の信念に基づいた正しい振る舞いだった。彼にとって反省すべき点は何もないし、自ら犯した行為に何ら恥じるところはない。
 何しろM氏は「確信犯」なのだ。少女を愛玩動物として飼う。それが許されるという前提なら、彼は極めて誠実な飼い主だったに違いない。
「もし仮に私に反省すべき点があるとすれば――」
 硬直が解け、騒然とした法廷内でただ一人、M氏は平静な表情を保ったまま発言する。
「法的に許される方法や、あるいは脱法的な手段を検討しなかったことにあると考えています。たとえば身寄りのない子供――できれば聡明で容姿の美しい少女が望ましいのですが――そんな子供を養子縁組し私の手元に置くような、そんな方法を採るべきだったと思います。ただ未婚の独身男性が養女を迎えるのは、性的慰み物にする懸念もあり、なかなか許可が下りないという話は聞いていますが」
 傍聴席から、頭がおかしいんじゃないか、との呟きが聞こえた。だが確信犯は狂人ではない。違うルールで動いている常識人なのだ。
「ともかく今回の件によって私は気付いたのです。もはや後戻りはできません。以前のように、独り静かに暮らしていくような日々には耐えられないのです」
 ああ、こんな話をしたところで、彼らの理解を得られるはずがない。なのにM氏は語るのだ。
「私は孤独を発見してしまいました。あなた方が当たり前に思っていることが、私には備わっていないことを。だから私は自分の欠落を補うために、他のどこからか奪い取ってくるのです。今回は強引なやり方だったため、皆さんの理解を得られませんでしたが、次はもっとスマートな、社会的に容認できるような方法を模索してみるつもりです」
 私はざわめく法廷を傍観し、事態が沈静化するのをただ黙って待っていた。もうどう転んだって結末は見えている。そんなこと、M氏と初めて会ったときから予期していたのだ。
「――静粛に。静粛に」
 私はとうから匙を投げていた。どうでもいい案件のどうでもいい結末。初めから見えていた着地点に予定通りに降りただけだ。
 ではなぜ最後の最後になって、弁護士めいた振る舞いをしたのかといえば、それはM氏の名誉のためだ。
 M氏は世間の良識に照らしてみても誠実な飼い主だった。人が人を飼育するという、根本的な考え違いに目をつぶれば、彼は実に立派な飼い主だったのである。
 私はそれを法廷で開陳してみたくなった。そんな道理が世間で通用するはずがないと解っていながら、それでも私はやりたくなった。
 つまり私も、M氏とは別の意味で確信犯なのだ。
「――静粛に、静粛に」
 私には語る言葉など何もなく、M氏にはもはや言うべき事もない。
 つまり騒いでいるのはお前たちだけだ。

 そして我々は我々に課せられた仕事を消化した。消極的に、かつ速やかに。着地点が初めから判っていただけに、それはずいぶんとたやすい仕事になった。

 


あとがき
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